Bumbum-Project
NewsLetter
2005.05.25,No.19
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◆ブンブンプロジェクト神奈川事務局
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帰島・再定住に向け、生活域の放射能調査へ
〜「ロンゲラップ島民と共同で実施」を確認
ブンブンプロジェクトのメンバー3名と高田純・札幌医大教授は、今年7月31日成田を出発、8月7日に帰国するまで、マーシャル諸島共和国の首都・マジュロにおいて、1999年にロンゲラップ環礁で高田教授と共同で行った残留放射能調査結果(First Report)の報告会を行い、さらに島民の前歯からの放射線測定を行いました。現地は雨が続くあいにくの天候でしたが、ロンゲラップ村の全面的な協力を得て、友好的な雰囲気のなかですべての活動が滞りなく進展し、深い交流が行われました。これまでのお互いの真摯な活動を確認しあうことができたと思います。
しかし、ロンゲラップ島民にとってはこれからが正念場です。ロンゲラップ環礁で生活する上で安全性は確保されるのか、本当に調査結果は信用できるのか、これまでのアメリカ政府や科学者に対する不信感を乗り越えて島民が力強くロンゲラップでの生活を築きあげるまでまだ時間が必要です。
今回、ロンゲラップ選出国会議員のアバッカ・アンジャインさんが付きっきりで活動をサポートしてくださいました。そして、来年の夏、ロンゲラップ環礁およびその周辺で環境や食糧に残留する放射能調査を、高田教授・ロンゲラップ村・ブンブンプロジェクトの三者が共同で実施するよう努力することに合意しました。私たちの活動も帰島・再定住に向け、新たな段階に入ります。皆様方のご支援・ご協力をお願い申し上げます。
公式報告会と前歯ベータ線計測を実施
〜2005年夏・現地活動報告 渡辺 幸重
高田教授と清水谷子、上西彬、渡辺幸重のブンブンメンバー3名は7月31日夕、島田興生さん、上西夫妻の見送りを受けて成田を飛び立ちました。グアム空港で仮眠した後、チュンク(トラック)、ポンペイ(ポナペ)、クワジェリンを経て1日がかりでマジュロに到着。そこには今回通訳をお願いするミズタニさんが待っていました。宿泊先のRREホテルに直行。
そこでアバッカさんとスケジュールを調整し、翌日予定されていた「1999年調査結果公式報告会」は3日午後に回し、前歯のベータ線測定検査を先に始めることにしました。報告会と測定のPRは、張り紙やラジオ放送で行っているとのことでした。
8月2日。午前中はベータ線測定のための準備。ロンゲラップ村役場のオフィスの一室を借りて受付や測定場所を決め、マーシャル語の調査票を作成しました。
午後から測定開始。渡辺とミズタニさんが受付で名前や年齢、ロンゲラップに住んでいた時期などを聞き、調査票に記録。検査を受ける人にはソファに寝てもらい、歯をむき出しにしたまま4分間、高田先生が測定器を歯にあてて測定しますが、その間に彬君がビデオで高田先生のコメントを記録、さらに測定修了後にインスタント写真を撮ってプレゼントします。清水さんは、測定室の前にあるアバッカ事務所を行き来し、測定に重要な人を集める活動やロンゲラップの人々をなごませる活動などで走り回っていました。この半日で11人を検査、すべて「測定できないほど低い」というレベル1でした。
夜、6時ころから約3時間、翌日の報告会の内容についてスタッフで協議。ビキニ水爆実験で被曝し救出されたあと島が安全だとして帰島した1957年―85年のレベルをどう判断し、どう伝えるかを中心に議論しました。確定的な判断は来年の調査結果や歯の結果を待ってから結論を出すということになりました。
8月3日。午前中は前歯の測定。会議続きで忙しいというロンゲラップ村長のジェームス・マタヨシさんが高田先生に挨拶に来ました。
午後は報告会の準備。午後5時から、ホテルの庭にあるヤシの葉で葺いた集会場(BOKNAKE)でアバッカさんも参加して公式報告会。集会が重なったせいか集まりがよくなく、約25名が参加、出入りもありましたが、参加者は熱心に高田先生の話に耳を傾け、突っ込んだ質問も出されました。やはり帰島したあと子供が産まれても大丈夫か、ヤシや魚などを食べても安全か、ということへの関心が高いようです。通訳はミズタニさんとカナメ・ヤマムラさんのお二人にお願いしました。夜はブンブン通信の分担や今後の活動スケジュールについてミーティング。
8月4日。終日、前歯の検査。午後は病院で入院患者も測定。病院に隣接する「177HEALTH PLAN」に立ち寄りました。ここには被曝4環礁(ビキニ、ロンゲラップ、エニウェトック、ウトリック)の被曝者のカルテが揃っています。
夕食は、在マーシャル日本大使館の招待で、池田臨時代理大使、黒崎専門調査官、アバッカ夫妻が参加し、中華料理をごちそうになりました。その席で、高田先生から大使に対して「日本政府としてロンゲラップ再定住のための安全性調査に援助を」と要請しました。日本政府はロンゲラップに養豚場を建設したそうです。
8月5日。午前中は最後の歯の検査でしたが、朝からの激しい風雨のせいで参加者が少なく、アバッカさんの電話による勧誘で数人。前日までのペースでは45人を超えそうでしたが、結局38人に留まりました。この人達は全てレベル1という結果でした。
昼食は近くの韓国レストランで、NCT(核実験被害補償裁判所)のビル・グラハムさんと一緒。彼はずっと高田先生に専門的な質問を投げかけ、議論していました。
午後はホテルで、共同調査に関する覚書の草案を作成。4時ころからアバッカさんと協議、ほぼ原案通りの内容で合意。6時からホテルのレストランで開かれたサヨナラパーティの冒頭で、高田先生、アバッカさん、清水さんの3者が調印しました。内容は、これまで高田先生が実施した調査内容の確認および来年のロンゲラップ環礁とその周辺での放射能調査に関する手配、費用負担に関するものです。原則として現地に着いてからの手配や費用はロンゲラップ村役場が負担するよう努力するということになりました。
8月6日。朝6時に起きてアマタ・カブア空港へ。水谷さんが見送りに来ていました。小さな雨が時折降るもののようやく帰るときになって青空を覗かせるようになった空には二重の虹がかかり、私たちの今回の活動の成果を祝ってくれるかのようでした。
8月7日朝、全員無事に成田に到着。島田さん、上西さんの出迎えを受け、早速空港内のレストランで今回の活動を報告しました。
出発前の心配からすると、想像以上に快く受け入れていただき、今後の展望も開けましたが、ロンゲラップの人々の不安は消えていません。今回は毎日緊張の連続で、どのような交流がお互いにとって幸せなのか、地道にそして真剣に考え続けながら進めないといけないと強く感じさせられました。
20005年 マジュロ訪問記
高田 純(札幌医科大学教授 医学研究科放射線防護学)
今回のマジュロ訪問の目的は、1999年のロンゲラップ本島の線量調査結果である「The First Report」 の島民への公式報告会の開催、1957―1985年帰島期間の内部被曝線量調査のための前歯のベータ線測定、そして、今後の科学支援を打ち合わせることにあります。現地での限られた時間のなかではありましたが、参加者の一致協力の下に、計画を実施することができました。ここでは、報告会と前歯の放射線測定について、その概要をお伝えします。
The First Report 報告会
公式報告会は、ロンゲラップ地方政府との合同で、3日目の8月3日の夕刻、開催されました。会場はRREホテルの伝統的な南島風の建築様式の集会所で、参加者は約25人。当日、教会の集会や市長会議と重なり、少ない参加となったのは少し残念でした。しかし、在マーシャル日本大使館臨時代理大使、JICAのボランテイアの皆さんも参加いただきました。
国会議員のアバッカ女史の開会の挨拶に続き、ブンブンプロジェクト代表の清水谷子氏の挨拶、高田の講義、そして、質疑応答の約2時間の集会となりました。
2000年に出版した調査報告書は科学的な厳密性を重視したA4サイズの33ページの英文です。一般の人たちには難しい内容であり、報告会では結課を強調しながらも、明快となる説明に心がけました。ただし、日本語―マーシャル語間、あるいは英語を介した対話を含むため、私としては多くの困難を感じました。もちろん、島民のみなさんも、そうした言葉の他に、科学の内容も加わって、私以上の困難を感じたと思います。
報告の内容は、(1)線量の6段階区分[線量レベル:A―F]とリスク(危険度)、(2)1999年の調査の内容、(3)1999年のロンゲラップ本島の環境放射線調査結果とチェルノブイリ、広島などの世界の被災地の値との比較、(4)1954年[レベルB]、1957―1985年[レベル?]、1999年[レベルE]のロンゲラップ本島住民の線量レベル、(5)ロンゲラップ環礁北部の食糧汚染の問題点、(6)広島の復興[1945年レベルA、現在レベルF]、(7)前歯の放射線測定からの内部被曝調査の意味(ロシアと日本での調査結果)です。
私からのスライドを使用した講義の後、複数の参加者から質問がありました。特に、自身および将来の子どもたちの健康障害に関する不安について、熱心に質疑応答が行なわれました。
多発した甲状腺ガンの主な原因は、初期の被曝のなかでも、特に半減期の短い放射性ヨウ素の内部被曝であること。これについては、チェルノブイリ事故や、セミパラチンスクの核兵器実験の事例についても紹介しました。広島・長崎では、内部被曝は無視できるほどに少なく、ロンゲラップのように、甲状腺ガンが多発することはありませんでした。
白血病は、一人が発症し死亡しています。これについては、被曝の5年後に発症が最大になり、10年以後はかなり少なくなった広島と長崎の例をあげ、したがって、ロンゲラップでも、今後発症する可能性は低いと考えられることを説明しました。その他のガンは、高齢化するに従って、徐々に増加します。これらの原因は、初期の核ハザードである短期ハザードが原因です。ロンゲラップの場合は、それによる線量はレベルBでした。
1957―1985年の線量レベルはC―Dですが、DかDに近いものと推定している旨、話しました。これについては、本年以後実施する前歯の測定結果が、鍵となります。
国会議員のアバッカ女史は、「これまで米国の調査報告のみが、再定住の判断材料であった、しかし、今後は、高田博士の調査報告をセカンド・オピニオンとして、判断材料とする」と話しました。私からは、先の「The First Report」の他に、本年出版した「Nuclear Hazards in the World」を贈りました。ロンゲラップでは、これらを「島民とともに読み合わせる」ようです。これら2冊は、核被害補償裁判所のビル・グラハム氏へも贈りました。
オリジナルの報告書は、英文ですが、和文では、「世界の放射線被曝地調査」(講談社・ブルーバックス)および「核災害からの復興」(医療科学社)に解説を付しています。会員のみなさんは、これらを、お読みください。前者には、今回の調査の基礎となった、ロシアでの前歯の放射線調査および世界の比較が収録されています。後者には、線量6段階区分がわかりやすく解説されています。
前歯のベータ線測定
ロンゲラップ地方政府事務所の一室にて、検査希望者に対して、前歯のベータ線測定を実施しました。ラジオ放送、ポスター掲示、そして新聞マーシャル・アイランズ・ジャーナルなどにより、ロンゲラップ島民に、検査を呼びかけました。4日間で、38人の測定が行われました。ほとんどの被験者は、1954年、1957―1985年にロンゲラップ本島に暮らしていた人たちで、20代から60代の幅広い年齢層が参加されました。
この検査は、1957年に帰島し、1985年に島捨てするまでの期間の、食事や吸引による内部被曝における線量の再構築のために行われます。長期間の内部被曝では、筋肉組織全身に分布する放射性セシウム(Cs-137)の他に、骨格に蓄積し骨髄被曝の原因となる放射性ストロンチウム(Sr-90)が調査対象核種です。また、前者は筋肉組織への蓄積が常時ありますが、代謝により体外へ100日ほどで出て行きます。一方、後者は、骨格の成長期に最も多く蓄積されますので、成長の停止した成人にはあまり蓄積されません。このストロンチウムは、カルシウムと化学的性質が似ていますので、歯にも蓄積します。長年にわたり、骨格や歯に留まるので、過去の線量を評価することが可能なのです。
前者は、透過性の高いガンマ線を、体外から直接測定ができます。米国の他に、1999年の調査時に、携帯型測定器で、ロンゲラップの作業員に対して調査をしました。一方、後者は透過性の悪いベータ線のため、体外から骨格内の量を直接測定ができません。ロシアは、テチャ川の1950―1951年の核汚染による内部被曝の調査のために、特殊な体外からの測定器を開発しました。米国には、この測定器がないので、ロンゲラップ島民に対しては、ほとんど調査されていないと考えられます。米国が実施したとすると、死体解剖からの骨格資料の測定になります。しかし、この種の公開された報告書を、私は知りません。
前歯は口を開けば、剥き出しになりますので、容易に測定ができます。それを、2000年に、テチャ川のムスリュモボ村で実施しました。ロシア・ウラル放射線医学センターの協力を得て、前歯のベータ線測定から、簡便に骨格の線量を推定する方法を開発できました。今回実施した38人の中には、島の汚染が最も高かった時期に誕生した人たちも含まれていました。それでも、ムスリュモボ村の被災者のような顕著に高いベータ線を示す人はありませんでした。各人へは、あらかじめ用意したマーシャル語表記の書式に結果を示し、私から手渡しました。38人の参加者全員が、測定直後に自身の結果を知ることになりました。
来年以降も、この調査を行い、1957―1985年帰島時の内部被曝の線量評価がより確実なものとなるように取り組むつもりです。多数の島民を調査してはじめて、確かな結果が得られるのです。さらに、この線量評価が、今後の再定住時の線量を予測する上での鍵ともなるので、重要な意味があります。
最後に
1999年から5年間も空白のあった中で、国会議員のアバッカ女史から、いわば突然の科学協力依頼に応じた形でした。私は、何の科学研究計画の後ろ盾のない状態でしたが、この歴史的タイミングを逃してはならないという思いで臨みました。前回の調査は、学術振興会から得た予算に裏打ちされた、独自の研究計画「内部被曝線量その場評価法の開発」の一環として実施したものです。今回は、そうした計画の無いアドリブ%Iな私費調査となりました。ただし、札幌医科大学へは、海外調査を認知してもらうために、在外研究申請を行い、出張許可のみを得ることは出来ました。
ブンブンプロジェクトの中心の人たちも、歴史的タイミングということでは、同じような気持ちだったかと思います。もちろん、ロンゲラップ島民も、米国が拠出した4500万ドルの再定住プログラムの完結を迫られた苦しい時を迎えていると推察します。今回、現地でのさよならパーティの場で、今後の日本からのロンゲラップへの科学支援に関する覚書を作成し署名できました。前途多難ですが、一歩を踏み出したのではないでしょうか。
今回の検査の成果と
日マの友好関係の今後について思うこと
ブンブンプロジェクト会員
このレポートは今回お世話になった高田先生、清水さん、渡辺さん、ミズタニさん、アバッカさんなどの話を聞いて自分なりに纏めたものです。
今回の前歯検査は実り多きものでした。マーシャル諸島へ行くのは今回で3度目でしたがこれまではどちらもイバイ・メジャトでしたので緊張もしていました。成田→グアム→マジュロへの移動は少々苦痛を伴うものでした。グアム空港では靴を脱がされ、対テロリズムを身近に感じました。グアム→マジュロ間でもトランジットが許可されない島もあり窮屈な思いをしました。
2日目、マジュロに着くと日系2世の水谷さんが出迎えてくれました。水谷さんは、声は小さめですがにこやかで、私は祖父のことはほとんど覚えていませんがこのような感じであったかなぁと思い、親近感を感じました。
水谷さんのお父さんは第一次世界大戦の後に旧制中学で「南洋で一旗挙げよう」という張り紙を見てマーシャルへやって来たとのこと。日本語は不自由なく喋れると言った感じでした。戦後はフィリピンで勉強したり、アメリカのミズーリ州セントルイスへ留学したりした後にサイパンで放射線技師として働き、沖縄にも何度か足を運んだようです。現在は家を2件持ち、小さい家で孫夫婦と暮らしています。大きい方の家は子供夫婦が暮らしており、小さいほうの家はまだ空きがあるようで来年は早く来てウチで寝てマジュロを見て回るといいですよ、とおっしゃってくださいました。
マジュロではRREホテルへ直行しました。ホテルは近代的でお湯と水が使える上に水は塩水ではありませんでした。またセキュリティ班なるものが夜中に巡回しており、万全なホテルでした。冷房についても細かい調整が可能で、テレビはNHKも見ることが出来ました。この日のアバッカさんとの話合いは今後の予定がメインでしたが、アバッカさんが好意的な発言をしており、また事前にある程度の準備をしておいてくれたということもあり展望の見える一日でした。水谷さんの話ではロンゲラップの大半の老人たちはたとえ死んでも帰りたいと言っているとのことでした。
3日目、検査が始まる日です。私が名誉ある?測定の基準になることと相成りました。事務所は広々とした感じの場所にあり、個人的には冷房が強すぎましたが、ロンゲラップの関係者の人々は皆涼しさと世間話と電話の為に事務所にやってくる人が多いという感じでした。村長のマタヨシさんは多忙の為留守で、事務長のアントニオさんがロンゲラップ事務所内を案内してくれました。1Fにあったマリオさんの事務室を利用して検査することになり(お向かいがアバッカさんのオフィスでした)、準備は着々と進められました。検査に必要な書類をコピー中、事務員のエリクソンさんと仲良くなりましたが、彼自身も受けたいと言い(結局受けなかったが・・・)、若い世代でも興味を持っている人は少なくないとのことで、被曝した世代以外でも健康を気にする人が多いということが改めて実感できました。これまでは「船」がメインでしたし、私もネルソンさんにくっついてばかりいたのでほとんどわからなかったことですが、初めて自分の知識として直接触れた一瞬でした。
検査は全体としては良いムードで進みましたが「歯医者じゃないのか?」などといって帰る人もいました。私は自分のデジカメと渡辺さんのビデオカメラと高田先生のインスタントカメラ(プレゼント用)の撮影をしましたが、マーシャルの人は笑顔が素敵だと感じました。子供も大人も皆にっこりします。日系2世のイサオさんは写真を見せてカッコいいですね、と伝えると照れ笑いしていました。ラカトゥー(カッコイイ)とリカトゥー(可愛い)という2つのマーシャル語を覚えました。
この日の夜は翌日の島の関係者への説明会での表現の問題で渡辺さんと高田先生の間で熱い話合いがありました。自分としてはどちらも正しいように感じられました(それだけどちらも説得力があったという意味です)。我々は食事の時間さえ忘れて話し合いましたが、今回問題となった点は見送るということで一致しました。時間はかかりましたが大変有意義な話合いであり、私としても大変価値のある議論が聞けたと思います。1時間ぐらいしか経過していないと思いましたが時計を見ると3時間ほど経過していました。
5日目はいよいよロンゲラップ関係者への報告会の日です。ジャカネさんが心配なようで検査を受けに来たりしましたが、午前中の検査は難なく終了。昼食はフレイムツリーというレストランでカナメさんを招待してのものでした。カナメさんは格式の高そうなおじいさんといった印象で少々緊張してしまいました。レストランからの帰りは私は水谷さんにタクシーについて教えてもらうようにとのことで初めてマジュロの乗り合いタクシーに乗りました。行き先を伝えて50セント支払って下車するだけ。案外簡単なものです。知らない人が隣にいるのが気になりますが、道路は舗装されているし速度制限も厳しいので快適なドライブでした。水谷さんは、若い頃はサイパンでもマーシャルでもオートバイでブイブイいわせていたが、何度も海に落っこちたのでついに奥さんにやめさせられたんだよとか、自分のことやマーシャルの昔の話を沢山してくれました。
水谷さんが、大統領の義父であり、また日本統治時代の先輩にして日本の学校を卒業したカナメさんを差し置いて自分がやるのはという思いからか(カナメさんの話が出ると「彼は日本の学校を出たけど自分は途中までしかやれなかった」と寂しそうに語るのが印象的でした)、報告会の通訳は自信がないと言うので、やはりカナメさんにということになり、清水さんが急遽迎えに行くことになりました。4時からだったはずの説明会は、清水さんがカナメさんと戻ってくるまで高田先生が広島や米ソの核実験の動画を流していましたが、集まった関係者は皆興味深く眺めていました。水谷さんによると、参加人数が伸び悩んでいるのは、島関連の会議及び教会関連の会議が直前にあったので多くは疲労して帰ってしまったとのことでした。
報告会は1時間遅れで開始。通訳はカナメさんと専門的な話がわかる水谷さんの二人でやることになりました。参加者は皆真剣で、多くの深い質問が出ました。重点が置かれたのはやはり帰島問題と自分の健康でしたが、途中からアバッカさんも説明に入り、時間はかかりましたがその分不満そうな顔をする人は無く、最後には皆が笑顔で終了することが出来ました。私の目で見ても皆さんから「良かった」という気持ちが感じ取れました。来年のロンゲラップ北部やアイリングナエの調査の面でも大きく前進したのです。水谷さんも「よかったですねぇ」と疲れた様子でしたが笑顔を見せ、満足した表情でした。
6日目の検査では段々とマーシャルの人にも慣れ、写真を撮る合間の短い時間で少し会話したりもするようになりました。残念だったのは子供と全然話せなかったことです。6日目と7日目は子供が結構事務所にやってきたのですが、英語で話しかけてもまったく通じないので清水さんに聞くと英語を習い始めるのは小学4年生からとのことでした。
この日の夕食は日本大使館が招待してくださいました。池田大使は報告会に来ただけでなくブンブン通信も読んでおり、ロンゲラップ問題についても考えておられるようでした。また専門調査員の黒崎さんも報告会に参加して大いに興味を示していました。正直萎縮してしまいましたが、この日の夕食会も前日の報告会と並んで価値のあるものだったと思いました。
7日目はいよいよ最終日です。この日は途中から病院に入院しているハナコさんを訪ねました。アバッカさんの事前連絡のため担当の医師の方がビキニやロンゲラップの人のカルテのことなどについて説明してくれました。余談ですが、ノリオさんという日系の医師がいて今度死んだ父の墓参りで日本へ行くとのことでした。水谷さんによると日系人は新旧合わせて数百人がマーシャルに住んでいるとのことです。日系人クラブがあり水谷さんやカナメさんはそれに所属しており会員は80人程度とのことでした。
この日の夜はロンゲラップ調査についての調印式とお別れパーティがありました。アバッカさんの家族や島の女性の代表者的存在のリジョンさん、その他数人の女性が来ました(途中から結構増えたようなのですが話に夢中であまり気が付きませんでした)。
リジョンさんは長崎の式典に出るために日本にも行ったことがあるとかで英語も達者でした。高田先生がロンゲラップでキャンプをやろうというアメリカ人のビル・グラハムさんの話を出すと「私らも連れてってくれ」などといった感じで、それを起点にどんどん話は進んでいきました。ヤシガニを指で釣るだとか恐ろしい冗談なども出ましたが、私もリジョンさんも笑ってばかりいました。来年はもっと色々聞いてみたいものです。ホテルのフロントで沢山写真を撮ってお別れしました。
次の日、空港には朝一番で向かいました。水谷さんが見送りに来てくれました。お別れにと宝貝の首飾りを持ってきてくれたのです。これは自分の宝物として家においてあります。今回の検査は水谷さんの協力無しではとても不可能だったと思いますし、また自分も貴重な話を聞くことが出来ました。改めてここで水谷さんへの感謝の意を表明したいです。本当にありがとうございました。
来年のことですが、ビル・グラハムさんの提案で安全性のPRと調査を兼ねてロンゲラップ本島でキャンプをしようとのことです。ロンゲラップ本島は設備が充実しており、飛行機も発着しているので自分も都合さえつけば是非参加しようと考えています。ロンゲラップの若い人々も乗り気なようなので来年はロンゲラップ・アイリングナエ・ロンゲリックの調査と日本・マーシャルの友好について考えてみたいなと思っています。その為にもマーシャル語を研究し、水谷さんにもカスタムや言語について質問してみようと思っています。来年のキャンプではバリバリ活動してみたいですし、水谷さんを頼って先行してマーシャルについて調べてみたいと考えています。 (大学2年生)
05年8月、マジュロ調査ツアーを終えて 清水 谷子
今回、同行の渡辺幸重さん、上西彬さん、そして高田先生の報告で全容はお分かりと思います。準備段階のことを少し書きます。
5、6、7月とマジュロのアバッカさんに受け入れ状況を確認するファックスやメールを何十通も送りました。4月にニューヨークから「マーシャルに帰国後、日程を知らせる」と連絡があったきりで、返信はほとんどありませんでした。2月にアバッカさんから99年の放射線調査承認の言葉を貰い、次回の調査続行の依頼を受けた島田も私も不安でした。7月31日、成田まで見送りに来た島田は期待20%、不安80%だったそうです。
私はロンゲラップの人が美しい父祖の環礁を取り戻して欲しい一念で乗り切るつもりでした。動き出してからは現地での人脈が頼りです。5年もマジュロに行ってないので、誰が在島かまた誰が健康で協力して貰えるか、分からないことばかりでした。
唯一、ミズタニさんと電話で連絡が取れていたのが救いでした。しかし、心配が杞憂だったのは他の皆さんの報告の通りです。
来年からのロンゲラップ島の残留放射能調査実施が決定しました。私は、科学的調査は高田先生を中心に行ない、ブンブンプロジェクトはもっと島民との交流に力を入れるべきだと思います。ロンゲラップに安心して帰れるかどうかの調査です。私たちの願いのみならず、ロンゲラップの人たちの願いはもっと重いものです。
ロンゲラップで
若者の伝統生活体験ツアーを
ロンゲラップのほとんどの若い人たちは古里を知りません。南国では世代の交代が早いのです。被爆3年後の1957年に帰島し、85年に「島捨て」した時、1歳だった子どもはいま20歳です。島の生活を少しでも知っている世代は24、5歳以上でしょう。今は立派な親です。多い人は3人も5人も子どもを持っています。今ならば現地での伝統的生活を知っている年配者が動けます。今こそ、失った楽園の価値を体験して貰う時でしょう。
ビル・グラハム氏とは10年ぶりの再会でした。マーシャルの被曝に深い関心を寄せ、アメリカからマーシャルにきてNCT(核実験被害補償裁判所)で働くグラハム氏から「ロンゲラップ本島で若人のキャンプをやろう」という提案がありました。日本の青少年が参加するには経済的に少し問題がありますが、順次考えて行けば良いと思います。
皆様からも、何かご提案がありましたら、是非事務局までお知らせ下さい。お待ちしております。

編 集 後 記
●1997年にメジャット島に船を送り、ロンゲラップの支援を始めたときから胸にとげのように突き刺さっていたのは、ロンゲラップ島の残留放射能の正確なデータがわからないということでした。アメリカ政府が発表したデータはロンゲラップの人々が全く信頼していない以上、アメリカ以外の中立的な科学者による調査が切望されていました。島民がロンゲラップに帰らないにせよ、島に帰り生活するならなおのこと、正確なデータを提供し、島民自身によって判断してもらう必要があるのです。
高田さんとの出会いはこの難問の突破口を開くものでした。99年の第一次調査の結果が衝撃的だったために島民に受け入れてもらうのに約5年の歳月がかかりました。
来年8月の第二次調査では、本島と島民の食糧基地であるアイリングナエ、ロンゲリック両環礁で、土壌の放射線調査、さらに主要な食料のヤシやタコの実、さんご礁の魚、貝、ヤシガニ、鳥などを電気炉で焼却し、灰にして日本に持ち帰って分析するなど、一層島民の生活の目線に立った調査を進めます。
●来年の調査では、ロンゲラップ現地での滞在費、食費はロンゲラップ村が負担してくれる予定ですが、日本→マジュロ→ロンゲラップの航空往復運賃17〜18万円、マジュロでの滞在費3〜4万円を自己負担して調査に協力してくださるボランティア希望の方がいらっしゃいましたらお申し出下さい。正確な日程、費用等は来年4月頃決まる予定です。
●調査と併行して、同時期にロンゲラップ島でロンゲラップの若者やお年寄り、男女を集めたキャンプ=伝統生活の経験と技術を伝えるサマーキャンプも企画中です。この中では単に伝統生活の体験だけでなく、いまマーシャルが抱える、被曝、基地、温暖化、ゴミ問題、人口問題など様々な問題について話し合う予定です。
●ロンゲラップの科学調査は、海上での行動が多くなり、潮流や嵐、陸上には蝿や蚊、海には無数の鮫など大自然の危険がいっぱいです。行動には自己責任でお願いします。そんな危険はごめんだという方は「キャンプ」の方がおすすめです。
●いずれにしても、リィマンマン号を送った時のポリシーは「物に乗せて心を送る」でした
が、今後は「行動で心を送る」になるようです。よろしくお願いします。 (島田)
●マーシャルから帰り、島田さんの著書『還らざる楽園』(小学館)を読みながら、あらためてブンブンプロジェクトの原点を確認しています。ロンゲラップの人たちは、まともな治療も受けられず、科学調査データも知らされず、アメリカに対して深い不信感を持っています。私たちは客観的な科学的データを真摯に示すと共にそれが心にどのような影響を与えるのかも受け止めなければなりません。
●ロンゲラップの人たちの経験に比べて自分の感
覚の軽さが気になります。23日の報告会ではざっくばらんな話合いができれば幸いです。祝日ですが、ぜひお出かけ下さい。 (渡辺)