
中学生も参加し第三回メンテ
〜メンテナンス班、三月二一日イバイ島へ出発
今度で三回目になるメンテナンス班が三月二二日から二七日までイバイ島を訪ね、現地の人たちと一緒にリィマンマン号のエンジン、無線、船体などの整備を行ないます。今回のメンテはこれまで行なってきたメンテと基本的には同じですが、昨年八月に起った燃料噴射バルブ関連のトラブルの点検・整備、前回出来なかったオルタネーター(交流発電機)と操舵用油圧ポンプのベルトの交換などが主な作業になりそうです。
昨夏のトラブルの後、十月に四本の燃料噴射ノズルと海水ポンプの部品を現地に届けました。船のクルーがノズルの交換を行なった結果、リィ号は現在ほぼ順調な航行を続けています。
今回の参加者は、堀田俊一さん(エンジン)、中島博さん(電気)、清水谷子さん(コーディネーター)と、アシスタントの上西忠さんと次男の彬(あきら)君の五人です。
(スケジュール・費用等は下欄参照)
上西彬君は現在中学一年生。九七年七月にリィマンマン号を富津市の鈴木造船で改装工事を行なった時、父親の上西さんと泊まり込みで三回の全作業に参加しました。「ブンブン通信」第四号に彬君の率直な手記『改そう作業に参加して』が載っていたのをご記憶の方も多いと思います。当時、小学六年生だった彬君も今や身長が一七〇aをこす立派な若者になり、作業で大活躍してくれるのを期待しています。
また、堀田機関長は、この一月二五日から二九日にかけて静岡県大仁町で行なわれたコマツディーゼルの技術講習会に自主参加しました。かって、運輸省航海訓練所の青雲丸(五〇〇〇d)の機関長として活躍した大ベテランが、わずか六dのリィ号のエンジンの寿命を長びかせるため、講習会で一生徒としてエンジンの構造や分解の講義に参加した熱意は、私たち会員を勇気づけるだけでなく、いずれロンゲラップ島民にも伝わり、より強固な信頼関係のもとになると思います。全員の無事故とメンテの成功を祈って留守部隊も頑張ります。
「第3回メンテスケジュール」
●日程
3月21日(日)成田発
20:55→グアム着01:30(22日)
到着後グアム空港内で仮眠。
22
日(月)グアム発08:20→クワジェリン着17:15
26日までイバイのホテル泊まり。
23日(火)作業1日目
24日(水)作業2日目
25日(木)作業3日目
26日(金)作業4日目
27
日(土)クワジェリン発14:25→ポナペ着16:05
30日までポナペ島滞在。
30日(火)ポナペ発16:40→グアム着19:00
グアムホテル泊まり。
31
日(水)グアム発07:20→成田着09:55
●費用
往復航空運賃 117,300円
宿泊(9泊) 45,000円
食事・雑費 40,000円
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村は壊滅し、放射能の恐怖は依然残る
〜ロンゲラップ本島の再建工事始まる〜
昨年十月二二日、関西テレビのクルーに同行し、ロンゲラップ島を訪れた。昨年七月から始まった再建工事で滑走路が整備され、小型機が発着出来るようになり、在島する十数名の作業員に生鮮食料を運ぶため、二週間に一便チャーター機が飛ぶ。これに便乗したが、駐機時間はわずか二時間。駆け足で島内を回り、島の現状を見た。
十四年前の八五年五月十八日。ロンゲラップ島の海岸は祭りのような熱気に包まれていた。人々は住み慣れた自宅や学校などを次々と解体し浜に運んだ。若者は材木等を一隻のブンブン(小型漁船)に乗せ沖合の船に運ぶ。移住地で住宅や集会所を再建するためだ。
五七年にジョンソン米大統領が出した「安全宣言」に固執するアメリカ政府は、島民が帰島後に発症した後遺症の訴えに耳をかさず、最終的な抗議行動になった『島の脱出』に対しても、終始冷淡で一銭の援助も一隻の船も与えなかった。
三日間にわたる積み込み作業を終え、第一陣の子どもと老人たちが乗船する時間になった。五四年の被曝時の村長だったジョン・アンジャインさんは墓地に行き、白血病で死んだ長男の墓標をはずした。そして、白砂の美しい海岸に出ると、水平線に浮かぶ島々を見つめ、足下の砂を手にすくい上げ、何十分もしゃがみこんでいた。体全体から寂寥と孤独感がにじんでいた。ジョンさんは、「二度と生きて島に戻れない」と考えているに違いないと私は思った。
グリンピースの機帆船はロンゲラップーメジャト間を三回往復し、三五〇人(マーシャル各地に分散するロンゲラップ島民の総人口は約二六〇〇人)全員と家財をメジャト島に運び、『放射能からの脱出作戦』は終了した。この行動の全指揮をとったのがジョンの弟で当時ロンゲラップ選出の国会議員チェトン・アンジャインさんだった。そして、チェトンの真の苦闘はこの時から始まった。
「ロンゲラップは安全である」とするアメリカ政府の公式見解を覆すためにチェトンのワシントン行きが繰り返された。航空券を買う金しかなかったチェトンは知り合いの家に居候して、上下両院議員を説得して回った。「彼らの九八%は何も分かっていない」と少し愚痴もこぼした。しかし、孤島で苦しい生活を続けるメジャト島民の彼への期待と支持は、変わることがなかった。彼の穏やかな説得は徐々にワシントンに支持者を増やしていった。
八九年、エネルギー省(DOE)はそれまでの頑な姿勢を変え、「これまで安全とした結論に問題がないか見直し作業に入る」と発表した。しかし、この時チェトンの体はガンに冒されていた。アメリカ議会が、ロンゲラップ環礁の放射能汚染除去と再移住のための費用の討議を始めた九三年六月、チェトンは息を引き取った。
九六年九月、アメリカ内務省とロンゲラップ村は島民の帰島のために「再定住のための計画」に調印し、九八年七月より第一期工事が開始された。総事業費は、九五一万ドル(約十億九千万円)。
主な内容は、@道路、波止場、滑走路などのインフラ整備A工事事務所、海水転換装置、倉庫、修理工場、燃料と水タンク、などの公共施設建設B放射能除去対策、となっている。
注目される放射能対策は、公共地区の表土を三Oa除去。また、将来建設される住宅の周囲は半径一〇〜十五bにわたって表土を三〇a除去する。ヤシ林、パンの木、タコの木などの成育にはカリウム系の肥料か、混合の完全肥料を与え、地中のセシウム137の吸収を減少させるとしている。一期工事は二〇〇一年には完工し、住宅建設は二期工事に行なわれる予定だ。
現在、マジュロ、イバイ、メジャト各島に分かれて暮らしている島民の望郷の念は非常に強い。しかし、「住宅が完成すれば帰島するか」の問いにほとんどの島民が首をふった。「本当に安全かどうか分からない」。
話を聞きながら、九〇年にドイツ人科学者B・フランク博士が島民を前に語った言葉を思い起した。博士は「ロンゲラップ本島の土には、アメリカの五〇〇倍、環礁北部の島には五〇〇〇倍のプルトニウムがある。アメリカ政府の七八年の調査では島民の尿からプルトニウムが検出されたのに一切非公開にされてきた」。プルトニウムの半減期は二万四千年。一_cで四〇〇〇人に肺ガンを発生させる猛毒だ。フランク博士は「ロンゲラップ環礁全島の表土を除去しなければならない」と話を結んだ。今回の除去対策には、プルトニウムのプの字も出てこない。島民が不安を覚えるのが当然だ。
十四年ぶりに上陸したロンゲラップ島は一見原始の島に戻っていた。人々のざわめきの声が絶えなかった豊かな村は完全に消滅し、廃虚になった教会と墓地だけが残っていた。ヤシの葉も生気がなく、特に驚いたのは、人々の主食であったパンの大木がほとんどまっ白く枯れ果てていたことだった。「パンの木は人の息を吸って生きているんですよ」と同行のカナメさんが解説した。人の姿が消え、島の自然が生き生きと復活している姿を想像していた私にはショックだった。自然を破壊し続ける人間。そんな人間の温もりを必要とする樹木があるのを知って感動した。
一月中旬、ジョンさんから手紙が来た。『自分の体の調子は良くないが、クリスマスはイバイもメジャトも素晴らしかった。しかし、弟のネルソンの体調が良くなく皆心配している。ロンゲラップでは公共施設の建設が終われば住宅建設が始まるが、それはロンゲラッブ島民にとって最後の選択になるかも知れない』。そして、ブンブンプロジェクトの皆さんへ『イロイロオセワニナリマシタ。ドウモゴクロウサンデシタ』とカタカナ字で手紙は結ばれていた。
( 島田興生
=フォトジャーナリスト ) さようなら!
山川みづほさん
昨年十二月二五日、山川みづほさんが亡くなられた。享年五三歳。
山川さんはブンブンプロジェクトの呼びかけ人であり、九O年七月には、友人ら六人とマーシャル諸島を訪ね、九四年七月のプロジェクトの呼びかけパーティでは世話人として運動の立ち上がりに多大な貢献をなさった。山川さんの古くからの友人の名取弘文さんに追悼文をいただいた。
名取弘文
(藤沢市立鵠沼小学校教諭)ぼくは家庭科の専科になって嬉しくてみんなに「こんな授業をしたよ」とふれ回っていた頃です。家庭科の映画の上映学習会があるよ、と現代書館の村井さんに誘われて窪の教科書会社(一橋出版)に行きました。小さな部屋で十六_映写機がカラカラ回っていました。見たのは、「私の見つけた小麦粉」。岐阜の中学校の家庭科授業のドキュメント映画でした。この時の主催者が山川みづほさん。
時代は「家庭科の男女共修」。ジェンダー・フリーです。山川さんは男女共修に使える教科書の編集者。それなら、ぼくは新しい家庭科の授業実践者。「男女共修」なら「男女共教」の教師。それから、「男女共修」をかかげた雑誌「新しい家庭科・We」の刊行への協力。
ぼくも公開授業を始めた。公開授業に来てくれた山川さんはなんと学校横のしゃれた古風の家の元住人(山川均・菊栄)の孫でした。社会主義者の山川均・菊栄さんたちがふるさとを懐かしんで植えたオリーブの二本の樹はいまも村岡小学校にあります。子どもたちが「社会主義」を知る日もあるでしょう。
にぎやかな日々。ぼくは、山川さんたちが集い場にしていた東中野の「すかぶら坐」で知り合った明美ちゃんと結婚しました。その披露宴の演出も裏方も中心は山川さん。咲(さき)はもうすぐ十一歳になります。たくさんのやさしさを有難う。山川さん。
We are not alone.
郡義典さん、
郡さんには九七年にブンブンプロジェクトがロンゲラップ島民にリィマンマン号を贈呈した時、船の到着に先行してマーシャルに渡り、リィ号の引き渡し式、クルーの訓練、その後発生したエンジン事故の修理、メジャト島への回航など四五日間にわたって協力していただきました。私どもの不手際から長期滞在を強いてしまい、辞典の刊行を遅らせてしまったことをお詫びするとともに、困難な翻訳作業・執筆作業を完遂されたご努力に心から敬意を表します。立派な辞典の刊行、本当におめでとうございます。
キリバス→日本語訳の他に、日常生活や風俗習慣、政治・経済制度を紹介した日本語→キリバス語訳の付録付。定価:8,000円
発行・
全国遠洋鰹漁労通信連合会三重県志摩郡浜島町浜島鴻の洲3564-2
TEL05995-3-1806 FAX05995-3-1717
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編集後記
●2頁・3頁のレポートにあるように島田さんが短い時間ながらロンゲラップ島を見てきました。「再定住のための計画」によりビキニのようなクリーンナップ作戦が始められるようですが、工事費用はロンゲラップ島民が求めている額にはほど遠いようです。アメリカ政府は生身の人間が苦しんでいる現実と故郷に還りたいという切ない願いをどのように捉えているのでしょうか。米国本土ではまた、臨界前核実験が行われました。
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演劇・
原 子 野 げんしやアトミック・フィールド
広島の原子野に立ち、その後ビキニ環礁とアメリカ・ネバダの核実験に参加したアメリカ人のアトミック・ソルジャーの物語。荒牧端枝さんはその娘で、アメリカ人被曝2世として体に障害をかかえながら、画家を志望する女性を演じます。戦後50年を期してアメリカ人作家が書いた作品。案内が遅くなりましたが、ぜひご来演を。
「演劇・原子野」には、ブンブンプロジェクトにエールを送っていただいている民芸の荒牧瑞枝さんが出演しています。荒牧さんは、沖縄や広島、朝鮮の人々の生き方に関心を持ち、そういうテーマで一人芝居もやっています。今回の演劇も重いテーマを引きずっています。
●毎度のことですが、メンテなどの活動を続けるには資金が必要です。不況の中ですが、カンパへのご協力もお願い申し上げします。
●三月は飛行機の切符がとりにくく、メンテツアーも苦労しておりますが、今回のツアーに是非とも参加したいという方がいらっしゃいましたら神奈川事務局まで至急ご連絡下さい。参加できるように極力努力します。
おわび 通信七号の八面に千葉県白井町の上西忠さんからノートと鉛筆がメジャト小学校に贈られたとの記載があります。実際にノートと鉛筆を提供して下さったのは、同県白井町池の上の内田嘉彦さんでした。内田さんにあらためてお礼申し上げます。