
〜8月メンテを急きょイバイ島に変更
リィマンマン号の四回目のメンテナンスは今回マーシャル諸島の首都マジュロ島で8月日から9月1日まで行なうことになっていました。しかし、去る7月5日の深夜、クワジェリン環礁の幅の狭いパス(水路)を通過しようとしたリィ号は暗礁にスクリューを引っかけ、舵部を大破しました。現地で応急修理後、航行は続けられていますが、船をイバイ島から約450キロ離れたマジュロ島に回航し、同島で修理するのは不可能で、メンテ班はクワジェリン環礁イバイ島に行き先を変更し、同島で本格的な修理を行なうことになりました。
クレーンも機械工場もない両島ですが、幸い8月日は大潮に当たり約1・8メートルの引潮が予想されます。この時間を利用し、イバイ島で船を海岸に引き上げ、破損したスクリューの交換、折れた舵の支持棒の補強、ペンキ塗りなどを行なう予定です。エンジン・電気系統の整備はイバイ島で行ない、メジャト島に向かいます。
今回の参加者は当初、堀田俊一(エンジン)、中島博(電気)、島田興生(コーディネート)、アシスタントとして上西弘毅(私立郁文館高校2年)、松田阿弓(三鷹・食べもの村)、樋川善史(アルバイター)、原田知美(東京国際大4年)の7名でしたが、舵部の破損状態を写真で詳細に検討した結果、舵部の修理ではステンレス溶接が必要で、船を海岸に揚げるのに大変な危険伴うことから急きょ鈴木幸一さん(鈴木造船)、石井こうじさん(鉄工業)の2人の専門家の派遣を決めました。ご理解とご支援をお願いします。
第4回メンテスケジュール
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〜ロンゲラップ島・メジャト島現地調査報告
(文)渡辺幸重/(写真)清水谷子
ビキニの水爆実験から年、ロンゲラップ島の人たちが放射能障害から逃れるため1985年に島を離れてから年経ちました。昨年7月、ようやくアメリカ政府の手によって帰島のための工事が始まりました。私たちブンブンプロジェクトはリィマンマン号を贈ってロンゲラップの人たちの生活を支援していますが、最終的な目的は安全なロンゲラップ島での自立した生活を確立することにあります。今回、メンバー2人(清水谷子、渡辺幸重)がロンゲラップ島に渡り、現地調査をする機会を得ましたので報告をします。
2年前、リィマンマン号を届ける際に実施したツアーではできればロンゲラップ島の調査をしたいと計画していました。私も参加したのですが、リィマンマン号の到着が遅れたりしたのでかないませんでした。私にとっては今回、やっと2年越しの夢がかなったことになります。また、ブンブンプロジェクトとしても次の目標である帰島計画に向けた新しい段階に突入することになります。
7月4日に東京を出発した私たちは翌5日クワジェリン空港を経てイバイ島に到着、休む間もなく待機していたリィマンマン号でロンゲラップ環礁に向けて出発。約時間かけてロンゲラップ島に着きました。ただし、この船旅は決して順調だったわけではなく、クワジェリン環礁を出る直前に座礁してしまい、操舵装置に損傷を与えるという事故が起きました(1面のメンテツアー記事参照)。エベル船長の判断により航行を続けましたが、重大事故につながりかねない状況でした。
6日夕、ロンゲラップ島が見え、大きく回り込んで環礁内に入るまで島をずっと見ていましたが、ヤシ林が続く長い島を見て大きな豊かな島だな、という印象を強く持ちました。ここがロンゲラップの人たちが帰って来るべき島なんだと思うとジーンときました。
日本にも噴火や地震、飢饉、伝染病、戦争などが原因となって全員離島の歴史を持つ島がたくさんあります。そして、戦争や高度成長期の無人島化政策による場合を除けばほとんど帰島を果たしています。私はロンゲラップ島を前にしてそれらの島を思い、不毛の土地だと言われながらも帰島の念を抱き続ける日本の島の人たちのことを思い出していました。江戸時代、噴火の島から抜け出し、重なる海難事故を乗り越えた末、約年かけて帰島した伊豆諸島・青ヶ島の人たちはどのような気持ちだっただろうか。日本のこれらの島に比べてロンゲラップの人たちの故郷は大変豊かに見えます。当然ながら1日でも早く帰りたいに違いありません。しかし、放射能の影は帰島をためらわせていることでしょう。私たちにできることはどんなことだろうか。そう思いながらロンゲッラップの土を踏みました。
ロンゲラップ島には6泊し、日の午後ロンゲラップを出て日の朝メジャト島に到着。ロンゲラップの人々が住むメジャトを日早朝に出てイバイへ。日にクワジェリン空港発日成田着という行程でした。以下、ロンゲラップ、メジャトで見聞きしたこと、感じたことを羅列してみます。
<ロンゲラップ島で>
・アメリカ政府の手による「ロンゲラップ環礁再移住のための再建工事」は昨年7月から始まり、地元の建設会社PIIが工事をしていた。労働者は約人。現場監督の人はマーシャルに住み着いたアメリカ人、他はほとんどマーシャル人で、フィリピンの人もいた。
・空港は滑走路の長さと幅がいずれも2倍に拡張されているが舗装はされていない。毎週土曜日にマジュロ、クワジェリンからの飛行機が着く。
・クリーンナップ工事は宿舎周辺しかできていなかった。表土をセンチほど剥ぎ、その上に珊瑚岩を砕き洗った砂利で盛り土をしているようだ。建物は海水淡水化装置、宿舎、食堂などができており、さらに労働者のためのステーションなどを建設中だった。
・今後、桟橋建設工事をやり、さらに放射能調査のための建物などを建てるらしい。
・工事基地はヤシ林の中にあり、電気、水とも十分。宿舎の一部にはエアコン、シャワールームが備えられている。
・周辺には野生の豚、鶏がたくさん棲んでおり、ときどき食べている。何度も豚の解体現場を見た。ただし、放射能障害を恐れて食べない人もいるらしい。
・ヤシは多く、タコノキもあるが、パンノキは発見できなかった。
・ラグーン内の魚は豊富で、鮫も多い。
・工事現場の労働者の尿検査をアメリカ政府は2度やったが、結果は伝えられていない。
・アメリカ政府はロンゲラップで土や動植物のサンプルを多数採集した。採集場所に立てた黄色い旗が島のあちこちで見られた。海岸の岩からヤシ林の中まで広範で多分環礁内の他の島でも行っているだろう。その結果についても公表されるかどうかわからない。
・メジャト小学校の元校長、エモスさん、現校長のリミヨさん、ヘルスエイドをやっていたチャーボエさん、リィマンマン号の船長のエベルさん、クルーのダンさんの住居跡を見た。メジャトでは家が密集しているが、ロンゲラップでは隣の家とはかなり離れて建てられているようだ。エモスさん、チャーボエさんの家はそのまま残っていたが、メジャトの家よりもずっと大きい。チャーボエさんの家はアメリカが建てた高床式の家で、床の下に小さな部屋が一部屋あった。これはあとで増設したものだという。その近くに作りかけのブロック積みの壁があった。
<ロンゲラップ環礁の小さな島で>
・ロンゲラップ本島の北にある小さな島に行った。ヤシ林の中で簡単に大きなヤシガニを見つけることができる。同行したロンゲラップの人が海岸で魚の群を見つけ、アッという間に浅瀬に追い込んで約尾の魚を素手で捕獲した。
・リィマンマン号が航行中、大きなマグロをはじめ次々に魚を釣り上げていた。海鳥も3羽ほど捕獲していた。
<メジャト島で>
・2年前と比べ大きな家が増えていた。壁が青や緑、赤、黄色などのペンキで塗られており、カラフルになった。
・台所の道具も増えているような印象を受けた。
・子どもが乗っている自転車がカラフルで新しいものが多かった。
・エベルさんがオートバイに乗っていた。
・夏休みで島にいない人が多かったので詳しい話は聞けなかったが、ピーター先生の話では、我々が贈った図書はオフィスに置いてあり、子どもに読み聞かせてやることもあるらしい。子どもがどんどん利用できるようにして欲しいと要望した。
<イバイ島で>
・雨が多かったので水事情はよい。電気も一度瞬間的に停電しただけで問題はなかった。
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ロンゲラップの工事は始まったばかりで、ロンゲラップの人々が実際に帰ることができるようになるためには住居の建設や環境放射能の調査などを行わなければならず、何年もかかります。まだはっきりした見通しはたっておらず、今後の工事についてもロンゲラップ村役場とアメリカ政府で交渉が続けられています。
ロンゲラップではリィマンマン号のクルーたちは生き生きしていました。メジャト島でも、ロンゲラップで見聞きしたことを伝え、帰りたいかとたずねるとロンゲラップの人たちは異口同音に帰りたいと答えました。メジャト島が住みやすくなったとはいえ、他人の土地に密集して住んでいることに変わりはありません。豊かな島ロンゲラップは帰るべき心の故郷なのだと感じました。問題は島を出る原因となった放射能汚染と障害です。ロンゲラップの人たちは望郷の念と放射能への不安の狭間で心が揺れているように見えます。
ロンゲラップ島のあちこちでアメリカによる調査地点を示す黄色い旗が見られました。しかし、過去のロンゲラップの人の検診結果も含め汚染状況はきちんと公表されていません。アメリカ政府はこれまでの調査結果をすべて公表すべきです。また、ロンゲラップの人々の自立と安全な島への帰島を願う私たちブンブンプロジェクトとしてもなんらかの形で環境調査をする必要があると痛感しました。
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●クワジェリン環礁は世界一と言われますが、ロンゲラップ環礁も負けないくらい大きいような気がしました。魚影が濃い青い海に白い島、緑なすヤシ林と、ロンゲラップは典型的な南の島の様相をしていました。帰島の夢が早くかなえられることを祈ります。私たちにできることは何でしょうか。
それにしても、マーシャル諸島には地球上のさまざまな矛盾や課題がそろっていることを感じます。人口問題、地球温暖化問題、基地問題、ゴミ問題、被曝・・・。それもこれもすべて、私たちの問題でもあります(渡辺)。
●サンゴ礁の海の恐ろしさをあらためて知らされた今回の事故でした。舵が抜け落ち海中に落下すれば舵穴より浸水し、船は沈没の可能性もありました。幸い船体に異状がなく、船長のエベルさんの冷静な操船で、事故後も時間も走り続け、乗員や乗客は全員無事に帰着しました。
就航3年目を迎え、マジュロ島でクレーンで船体を陸上に揚げ、「お色直し」をしようと思っていた計画は挫折しましたが、船が今後も安全に航海出来るよう鈴木造船所の指導や協力を得て、メンテ班は猛暑のイバイ島で頑張ります。ご支援をお願いします(島田)。
●ブンブンプロジェクトや遺族会ら多くの日本人がマーシャルでお世話になってきたカナメ・ヤマムラさんの半生がテレビのドキュメンタリー番組になり、この8月に関西テレビから放送されます。
題名=メディアDO・終戦特集・
放送局=関西テレビ/8チャンネル(大阪府、京都府、奈良県、和歌山県、滋賀県、徳島県の関西地区のみ)・
放送日=8月日午前0時分〜1時分(日の深夜の放送です。番組表をよくご照会下さい)。・
あらすじ=太平洋戦争中、激戦地だったマーシャル諸島を今回も日本遺族会の慰霊団が訪れた。「お父さん、やっとこの地に来ることができました!」とおえつする遺児たち。彼らをこれまで献身的に現地に案内してきたのが、カナメ・ヤマムラさん(歳)だった。カナメさんは、戦前、南洋貿易をしていた日本人の父とマーシャル人の母との間に生まれた。しかし、戦争は「最愛の父」とカナメさんの間を無惨に引き裂く。戦後、カナメさんは船員、日系工場長、首都マジュロの市会議員をへて、現在は悠々自適の生活を送っている。九州男児だった父の面影をしのばせる太く濃い眉毛、精かんな面構え、堂々たる押し出し。そんなカナメさんが年前に別れたままの「父の面影」をいまも引きずっている。
戦前、マーシャル諸島は日本の支配下におかれ、カナメさんも日本語の「皇民化教育」の洗礼をうけた。『夫婦相和シ、朋友相信ジ』という戦前の教育勅語の精神。「人が人として歩む道を説いたこの教えのどこが間違っているのですか」と、逆に我々日本人に質問するカナメさん。
長引く不況、不透明な未来、時代全体が沈み込んだような現代日本。人間が生きていく上で欠かせない「尊厳」や「誇り」、「気高さ」を失いつつある現代日本人。
番組は戦前、戦中、戦後の「生き証人」として遙か5000キロ離れた南洋群島から、祖国「日本」を見守り続けてきたカナメさんの「深いシワ」を描きだす・・・。
・放送用のビデオは業者がコピーを引き受けてくれません。興味のある方は関西地区の知人に録画を依頼して下さい。
◆ブンブンプロジェクト神奈川事務局
※ブンブンプロジェクトの運営は会員及び支援者のカンパによって行われています。
リィマンマン号のメンテツアーや修理用パーツ購入などの費用がかかるために厳しい財政状況が続いています。
無理のない程度でけっこうですから、ブンブンプロジェクトの活動にご賛同される皆様のカンパをお願いします。
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