多競争時代の中の大学と受験産業(その7)

 

『生涯学習塾』のスス」

 

 

 「大学冬の時代」という言葉が流布されてから久しい。世の中の動きに鈍感な大学もさすがにあわて始めたようだ。しかし、倒産やクビ切りが現実のものとなっている一般世間に比べてどこまで切羽詰まった危機感を抱いているかは怪しい(「大学の倒産や教職員のクビ切りが一般世間同様、現実のものであるにも拘わらず」と言った方が正しいかもしれない)。「大学冬の時代」という言葉は、少子化の要因しか考慮していなかった。それだけでも十分「構造不況業種」ということになるのだが、現在の状況は「世界同時不況」「産業構造の転換」「パラダイムの大転換」という大きな波がそれに覆い被さっているのである。実は、こういう時代は新産業創出のチャンスでもある。そして、新機軸、新しい発想、新たな生き方を提言するのは「教育」の役割だと思う。大学はその中心になるべきだ。銀行と同じで、すべての大学に期待するのは無理なことはわかっている。だが、必ず期待に応えてくれる大学が現れると信じている。そして、それを支える社会や民間教育の役割も大きい。別に肩肘張って言うわけではないが、後述する「生涯学習塾」はその一環だと考えている(ちなみに、月並みなことではあるが、農業革命、産業革命に続く、人類にとって第三の革命・情報革命の中で、産業構造の転換のキーワードはやはり「情報通信」、パラダイムの大転換のそれは「地球環境」ということになるだろう)。

 

大学入試は変わるか

 

 大学の反応は大学入試における対応をみると見えてくるところがある。これまでは、志願者を確保するために受験生の負担軽減ばかりに目が行きすぎる嫌いがあったが、1999年度大学入試の内容をみると少し変化が見られる。

 「大学に入ってから必要な科目を高校で履修していないのは入試に課さないからだ」という大学の内外からの批判に応えてか、理科の科目を指定したり増やしたりする例がある。また、私立大学入試では、受験は3教科を課し、合否判定はその中の高得点2教科で行う(あるいは2教科受験で高得点1教科で判定)という「高得点方式(ベスト2入試)」が増えている。「合否には影響しないから、不得意でも勉強だけはしてきてくれ」という大学の願いが込められている。

 文部省や経済団体から出ている学力偏重批判に対応して、ということだろうが、総合問題や小論文を新たに課す(方式を増やす)ところも多くなった。私立大学の総合問題には、「高校生の一般常識・一般教養程度のもの」(北海学園北見大学3月入試)、「社会科学をテーマにした資料(和文・英文)を試験前に発送、そこから出題する」(流通経済大学S方式)、「講義理解力テスト」(東京国際大学国際関係学部D方式)、「基礎理解力テスト」(淑徳大学社会学部)、「学習力テスト」(同大国際コミュニケーション学部経営環境学科)、「基礎学力テスト」(立命館大学政策科学部PS方式、四国学院大学2次募集)などがある。小論文では、「高校生にふさわしい知識、理解力、構想力、分析力、表現力を問う」(慶應大学経済学部)、「プラトン『ソクラテスの弁明』を課題図書とする」(法政大学文学部哲学科)もみられる。

 試験会場に辞書や参考書を持ち込んでもよいという大学も増えた。「知識の多寡を問わず、回答に至る経過・思考をみるため」というのだから、これも学力偏重・知識詰め込み批判に応えたものかもしれない。「講義理解力テスト」という新種の試験も流行りだした。これは入学後、大学の授業についていけない学生が増えたため、入試で講義を聴かせてその理解力を試そうというもの。上武大学C方式は3種類の講義試験を課すが、例えば、商学部では「地球の環境」「日本の文化と経営」「基礎的な英語」というテーマになっている。

 

入試は廃止できるか

 

 しかし、入試改革には限界がある。ここに述べた変化も募集人員でみればごくわずかだ。「辞書持ち込み可」の入試も、実際には有効ではなかったとやめた大学もある。京都大学経済学部が始めた「ロングラン論文入試」は評価が高いにも拘わらず、広がりそうもない。

 そこに、経済界から大胆不敵な改革案が出された。(財)社会経済生産性本部の「選択・責任・連帯の教育改革〜学校の機能回復をめざして」と題する緊急提言だ。これは、堤清二氏が委員長を務める社会政策特別委員会がまとめたもので、「高校入試も大学入試も廃止すべき」と主張している。競争は専門教育を行う大学以降でよく、大学の定員は廃止、大学教育はキックアウト制(成績評価を厳しくし、基準に満たなければ留年や退学をさせる)にすべきだという。大学入試は、大検に代わる「高等学校学力検定試験(高検)」を創設、それに合格すれば大学受験資格を与える。大学は書類審査によって入学者を選抜するが、TOEFLなどの資料を使うこともある。

 「かえって大学間格差が広がらないか」という疑問には、各大学が厳しい成績評価やカリキュラム、授業内容などを詳しく公表、大学進学志望者がそれを見て「ついていけるかどうか」で選ぶのだから、そうはならないと考えているようだ。大学は教育力で競争するようになるという。

 この提言には予測が甘い面が見られる。大学が一斉に入試を廃止したり、厳しい成績評価をやるのは形の変わった画一的な大学教育の温存という見方もある。筆者は、「多様な大学入試、個性ある大学教育」がよいと考えている。そして、入学試験で選抜が出来なくなる大学が急増することも確かなことだ。そういう大学が選抜試験をしているように見せかけても社会的存在意義は薄れるばかりなのだから、大胆に入試をなくしてこれまでの縦一列の大学ランキングから脱出をすることも一つの選択肢としてありうる。前述した総合問題や小論文はそのときのヒントでもあろう。「多様な大学入試、個性ある大学教育」にもつながる。経済界が本気で今回の提言の実現に取り組むつもりなら、教育改革の推進や経営、就職など具体的な問題に関して、そういう大学を積極的に支援する責務があると考える。

 

「夢工房」の思想とイメージ

 

 実際、入試改革だけでなく、大学改革全般に言えることであるが、産業界や社会の意識が変わらないと、大学も大きくは変わることができない。筆者は冒頭に述べたように、新しい民間教育の台頭が社会意識を変え、大学を変える力になりうると考えている。完全学校週5日制が実施されることにも対応した地域における新しいタイプの塾を想定。対象年齢を定めず、子どもから老人までOKで、しかも誰でも先生にも生徒にもなるオープンシステムなので、それを仮に『生涯学習塾』としたわけである。

 その一つのタイプが「夢工房」(あるいは「創造工房」)である。以前、大学の工学部の取材をしたとき、大学の先生が例外なく口にしたのは、「学生が物づくりの実感を持っていない」「若者に創造性がないので日本の技術立国は危うい」ということだった。アメリカの大学でも「もっとも優秀なエンジニアは農家の息子だ」という話があるそうだから、技術者養成には子どもの頃からの物に対する実感が重要なようだ。特に、ロボットコンテストの推進役でもある東京工業大学の広瀬茂男教授の話は興味深かった。広瀬教授の話によると、人間は産業革命によって体を動かさなくなり、それまでは仕事だった狩猟や移動などがスポーツとなった。泳いだり、走ったり、物を投げたりすることは生きるためだったのにそれを必要としない人が増えたのだが、生き物である人間は体を動かさなければ弱ってしまうので、健康維持のためのスポーツとなったのである。いま、知的産業革命の時代である。工場の無人化に象徴されるように、物を作るのに多くの労働を必要としなくなり、頭も使わなくなりつつある。しかし、物を作る人間や物作りを考える人間がいないと、機械の維持も発展もできない。そういう工学のプロを養成するためには裾野の広い物作り文化が必要となる。また、物を設計し、作る(手足を動かし、頭を動かす)ことは頭の健康維持に重要でもある。従って、物作りという「知的スポーツ」の創出が時代の要請でもあり、流れであろう。そのうち、大学の工学部出身者は優秀な者が工学のプロになり、その他大勢はピアノの先生や野球のコーチのような物作りインストラクターになる時代が来るかもしれない。

 広瀬教授は、小さいときから物に触ったり、物作りができる環境を地域単位で作りたいと熱っぽく語った。スケート場の貸し靴のように工具を安く借りられ、不要な機械を分解して集めた部品を安く買って物を作る施設が各地にできればいい、と考えている。

 そこで、筆者の頭に浮かんだのが金沢工業大学の「夢考房」である(「夢考房」「夢工房」などは同大学の登録商標)。そこには広瀬教授の言うような貸し工具が小さな物から旋盤まであり、ボルトナットやビスなどを10円単位の安い価格で売っていた。見学したときには学生と教員が「鳥人間コンテスト」用の人力飛行機を制作中であった。他の工業大学にも同様な施設があるという話も聞いた。

 そこで、「教育オムニバス」6月号に書いた「塾・新形態の概念図」になったわけだが、各地域に近い工業系大学の協力を仰ぎ、地域内の工場や商店などともリンクした塾「夢工房」の展開ができないだろうか、と考えている。一応、定期的にかつ体系的に学ぶ子供中心の基本的なコースを作り、月謝収入を確保するが、他に自由会員、一時会員、賛助会員制度を作り、子どもから老人まで安価で気楽に利用できるようにする。祭りの時には、そこが神輿製作の拠点になるかもしれないし、ポスター製作はコンピュータグラフィックスになるかもしれない。印刷は町内の印刷屋さんの機械を借りて、ということにもなるだろう。地域で技能を持っている人には講師登録をしてもらい、ボランティアで指導に参加するという形態もあるだろう。工学部の学生が最先端の知識を大学の研究室からもたらす可能性もある。ロボットコンテストや仮装大会にチャレンジする人も現れるに違いない。

 

「子どもミュージアム」から学ぶもの

 

 この構想は工学分野に限っているわけではない。内容の多様性と運営システムを考えるときの参考として、アメリカの「子どもミュージアム」の例を紹介する。

 「子どもと環境教育」(東海大学出版会、1993年)という本からの孫引きなのだが、世古一穂さんの「子どもミュージアムと環境教育」という一文によると、アメリカには二百以上の参加体験型の博物館「子どもミュージアム」があり、子どもたちが(大人も)「遊び、触れ、学び、発見する喜びに満ちている」という。フィラデルフィアのプリーズ・タッチ・ミュージアムの5つの目標は、

「利用者は、他の場所では見られないものに出会う。もし、よく知っているものならば、通常とは変わった視点から見てみる」

「展示は物・体験・材料に焦点を当てる」

「学びたいという利用者の動機を刺激する」

「自分で何かを選択することで、知っている世界から未知の世界へ」

「子ども一人ひとりがそこで体験したことを、以後考えたり、行動していく上で意味のあるものとする」。

 物を展示するのではなく、物を使うのが大事なので、真っ二つに切った形の実物大の家に入ったり、車椅子体験をしたり、大きな万華鏡の中に入ったり、蛇に触ったり、工場で不要になった材料で工作物を作ったりする、夜行性の動物の視覚を体験する、などミュージアムによって独自に用意された体験ができるようになっている。工房は不可欠のもので、ここではスタッフが展示品の作成や修理を行う。シカゴ子どもミュージアムの活動の中には、教師に対する研修会、家族向けや就学前の母と子向けのワークショップなどもあり、年間150回以上開かれているという。

 運営には多くのボランティアがスタッフとして参加しており、大学の教授、大学生、教師、システム・エンジニア、大工、グラフィックデザイナー、企業の研究者など多彩なようだ。

 

『生涯学習塾』が大学の大胆な改革を引き起こす

 

 「夢工房」も「子どもミュージアム」の地域版も『生涯学習塾』の範疇に入ると考えており、『生涯学習塾』にはさまざまな形態が考えられる。『生涯学習塾』の運動が広がれば、情報交換や研修の場の提供、部品など物の流通のサポート、基本教材セットの開発と提供、指導システムの研究などを担当するセンターが必要になってくるだろう。

 共通のコンセプトは「ものを教え込む」のではなく、「参加者が自らの動機に基づいて企画し、参加し、作り上げる」ということである。そういうための場と知識、情報を準備するオープンスペースが『生涯学習塾』である。同じ人がリーダーとして参加する場合もあるし、生徒になる場合も出てくる。子どもが先生になることもありうる。ただし、経営者はこれまでの塾と同じように「儲かる」と考えてはいけない。「食べていくに十分困らない収入があればよい」と考えるべきだろう。当然のことながら「自らの動機に基づいて企画し、参加し、作り上げる」という考えが社会に広まれば、大学入試も大学教育も変わる。自律的な学生が自分の興味・関心にあった大学を選び、大学もそれに対応して個性を発揮すれば、大学入試も大学教育も多様化され、大胆な変革も見られるようになるだろう。

 学校教育は、どうしても既成の秩序に則り、既存の知識や考え方を教え込む形になりやすい。こういう混迷の時代、大転換の時代には小回りが利き、誰でも参加できる民間教育の方が新しい考え、新しい生き方を提示し、実践しやすい。「地球環境」というテーマは、「人間」「生命」「生き方」につながる。従って、『生涯学習塾』を貫く大テーマは「地球環境」ということになる。人類史上第三の革命・情報通信革命を乗り切り、新しいパラダイムに挑む実践者の出現を渇望する者である。

 

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