多競争時代の中の大学と受験産業(その9)
「暗中模索する現役予備校・塾」
予備校の現役生コース
大学入試のたびに指摘され、この連載でも何回も触れたことだが、大学志願者数は減少しており、特に浪人の数は激減している。来年度大学入試センター試験では、全志願者数(確定)58万64人のうち浪人は、全体の26.7%を占める15万4,768人で、前年度の9.1%にあたる1万5,459人の減少だった。センター試験で全志願者に占める浪人の割合が最も高かったのが1991年度の38.1%、人数で浪人が最も多かったのが1995年度の19万5,921人だったから、ピーク時から約4万人少なくなっていることになる。
全体の大学受験者数が減る中で浪人の割合が低くなるということは、浪人相手の商売を中心とする予備校にとってマーケットが縮小し、存立基盤が危うくなることを意味する。そこで、大学受験のプロとしてのノウハウを基に現役生を対象とした業務を拡大する方向に向かうことになる。浪人の減少は昔からわかっていたことであり、各予備校とも10数年前から現役コースの拡大に力を入れてはきた。しかし、必ずしもうまくいっているようには見えない。それはなぜなのだろうか。事情は地域によって大きく異なる可能性があるので、ここでは首都圏で見聞きしたことに限定して、私見を述べる。
予備校の現役コースの問題を端的に言うと、浪人生と同じ様なスタイルでの大学受験指導を求める現役生の集団はそれほど多くないのである。いまの高校生で、多人数の講義形式の授業についていけるのはかなり稀だと言わなければならない。しかも、どこが提供しているかを気にしなければ、たとえ小さな塾であっても大学入試情報は十分なほど手に入れることができる。ただし、それでも予備校が志望大学合格への決め手を持っていれば高校生は通ってくるに違いない。彼らは必要とあらば、夜遅く、遠くまで行動するのにやぶさかではないからだ。問題は、「予備校の先生が教えます」という宣伝文句がどの程度通じるか、予備校側のペイラインをどこまで下げられるか、ということであろう。
予備校は、優秀な教職員をフルに夜も使おうとする。しかし、昼間優秀な人間が夜も優秀だとは限らない。一度痛い目にあって一生懸命やらなければ後がない浪人生と、まだのんびりとしており、個人によって弱点が大きく異なる現役生とは異星人のように行動パターンも思考パターンも違う。それを意識せずに昼間のノウハウで対応する教職員は痛くプライドを傷つけられてしまうであろう。優秀であればあるほど現実との落差が大きく、「なぜ自分が夜の商売をしなければならないのか」と嘆くことであろう。最近は、長引く不況で「どんな仕事でも喜んでやります!」という人が多くなったが、長く予備校の昼のシステムに浸ってきた人間が夜のシステムにうまく適応することは難しい。教職員の意識変革というのは、自らの利害が関わっている限り、かなり難しいのである。これは、大学改革を見てもわかるであろう。
また、教職員の意識が変わっても組織のシステムが変わらなければうまくいかない。現役生の指導は、いかに立派な1年間の指導システムが完成されていてもその通りには行かない。毎年改善し、年度内でもなにかある度に臨機応変に対応できる組織でなければ立派なシステムも簡単に崩壊してしまう。
予備校講師が経営する都市型・現役塾
予備校のノウハウを生かして成功しそうな事例はある。それは多くが、予備校の講師自らが経営者(あるいは共同事業者)となって現役生向けの塾を取り仕切るケースである。講師には経営能力や事務能力のない人が多いから、たまにそういう能力を持つ講師がいると、気のあった数人が集まって塾を経営することになる。彼らが生活の糧としている予備校がいつまで存在するかしれたものではないから必死だし、ペイはとりあえずは歩合制みたいなものだ。指導も予備校のような時間制限はしないから生徒につきっきりで教えることも普通にやる。教材は予備校でのノウハウを生かし、生徒に合わせて作成するオリジナル教材だ。生徒は、最難関大学を目指す中高一貫校の生徒をねらう。東京には、講師として大学院生を多く使い、ある程度洗練された指導システムで有名高校の生徒を専門に伸びてきた塾があり、そこに通いながらも物足りなく思う生徒もたくさんいる。予備校の指導ノウハウと塾としての親身の指導でそういう生徒を獲得している塾もある。
こういう塾は有名高校の生徒をターゲットにしているから、彼らの通学ルートに沿った分布をする。有名高校の生徒の通学圏はかなり広域なので自然、新宿などの交通拠点に集中することになる。そういう場所では家賃などの維持費は高い。従って、個別指導塾ではペイしない。少人数ではあっても一斉授業というところに予備校講師のノウハウが生きるわけだ。また、ちょうど有名高校の生徒は一斉指導とそのフォローという指導に合うレベルなのである。
これらの塾も、塾の宿命ともいうべき新陳代謝の中にあり、消えたり現れたりするだろう。しかし、予備校は生徒数の減少に伴い、講師のリストラを激しく行っており、この種の塾への人材を排出している。少数ずつではあるが、これらの塾は予備校のお客さんを減少させる働きもしており、予備校の縮小を促すという循環に組み込まれている。
予備校講師中心の塾は新参者である。もちろん、予備校講師中心でない都心型の塾もたくさんあり、同様に新陳代謝の中にある。
親子とのコミュニケーションを重視する郊外型の塾
郊外に行くと、予備校の分校から個別指導の塾まで多種多様である。郊外型の塾は、中学生と高校生の両方を教えていることが多い。中学のときだけでなく高校に入っても継続して通塾してもらうためには普段のコミュニケーションがうまく行っているかどうかが重要な要素となるため、きめ細かな指導が売り物になっている。都心の塾のコミュニケーションは生徒中心であり、指導は知識中心であるが、郊外の塾のコミュニケーションは、親とのコミュニケーションの比重も高く、地域社会とのつながりが深い塾もある。指導は知識だけでなく、生活面に及ぶこともある。
都心型の塾は、はっきりと難関大学受験を目的として打ち出している。一方、郊外型の塾は、難関大学への合格を売りにし、進学高校の生徒をターゲットにしている塾もあるが、高校の補習の要素が強くなるのが特徴の一つだ。また、授業スタイルとして1対1または1対多の個別指導をしているところもかなり見られる。なかにはTA(ティーチングアシスタント)のような存在の講師(学生など)を配置し、多対多の個別指導という例もある。
予備校は、系列校がほとんどだが、都心でも郊外でも同じ講師が同じような授業を展開しているようだ。同じ教室で、昼は浪人、夜は現役の授業を行うところが多い。1999年春に河合塾が厚木市(神奈川県)に「現役館」という名称で、現役専門予備校を開設するなど新しい動きもみられるが、どのような指導・運営をするのか、注目される。
現役予備校・塾の分類
ここで、現役予備校・塾の性格・地域性などを基に大まかな分類をしておこう(わずらわしいので予備校・塾と言わず、塾に統一する)。
<生徒数と目的別>
1.個別指導塾
1Aa 1対1補習塾 1Ab 1対1進学塾
1Ba 1対多補習塾 1Bb 1対多進学塾
1Ca 多対多補習塾 1Cb 多対多進学塾
2.一斉指導塾
2Aa 少人数補習塾 2Ab 少人数進学塾
2Ba 学校規模補習塾 2Bb 学校規模進学塾
2Ca 大人数補習塾 2Cb 大人数進学塾
目的として挙げた補習と進学の分け方はおおざっぱな感じではあるが、受験人口が上昇一途であった頃は、「進学」を看板に掲げないと集客がしにくい状況があり、「補習」は差別的に見られた。しかし、進学校では学校の進学指導が洗練されてそれについていけば大学合格への道が開けてきたこと、進学校でない場合でも大学入試がやさしくなり、推薦などで高校の成績が重視されるようになったことなどから、最近では「補習」の格が上がってきた。一部の最難関大学合格に特化しようとする塾は「進学」を看板に掲げ、他の塾は、進学実績を訴えながらも「学力アップ」に力を入れる、という傾向が見られ、「補習」と唱っても誰も「程度が低い塾」とは見なさないようになった。
また、上の分類の学校規模とは1クラス40人前後を考えており、2Ca、2Cbの大人数塾は、予備校をイメージしている。予備校では、以前は100人以上でも少人数と称したところがあるが、今は誰もそれを認めないだろう。
<学力レベルと地域性>
初めから述べてきた予備校、都心型塾、郊外型塾の性格と地域性をイメージしながら、分類すると、図のようになる。
【学力レベルと通塾時間による分類】<省略>
従来の予備校は、浪人の場合、学力レベルでは上位から下位まで幅広く受け入れた。通学圏はかなり広く、遠隔地の生徒の場合は寮まで用意するほどである。では、現役コースの場合はどうだろう。
現役生の場合は高校の授業のあと遠隔地まで予備校の授業を受けるケースはきわめて希である。時間もないし、それほどの求心力を予備校の現役コースが持っているわけではない。それでも、大学受験のプロを売り物にし、塾よりは広範囲から生徒を集めてはいる。学力レベルは高い方ではあるものの、上位層だけ集めているわけではない。郊外に行けばいくほど学力レベルの幅は広がる。図でPとしたのは予備校の分布の概念を示したものである。
大学入試がやさしくなると、競争に挑む若者の層は上位に偏る。ここをねらっているのが前述した都心型塾である。これを図ではAで表した。
Aと重なりはするが、通塾時間が比較的短いのが郊外型の塾Bである。
さらに地域には、教科別の塾や学習不振の生徒をみる塾など徹底して特化した塾や、中学生中心の塾で、地域性が高い面倒見のよい塾も存在する。一概には言えないが、一応、分類としては、学力レベルが低く、通塾時間が短い場合を想定。はっきりした集団として分けにくいが、図ではこれをCで表した。
Xで表したのは、不登校児や高校中退者、LD(学習障害)児など、広い範囲で親が交流を持ち、そういう子どもたちのために塾を作ったり、あるいは塾が積極的にそういう子どもたちのために活動する場合を想定した。いわゆる学力レベルは低いが、専門的な指導や人間的な触れ合いを求めており、遠くても通うという特徴を持つ。音楽やある種の技術など、指導者個人の高い能力を求める場合も同様であろう。ただし、地域の触れ合いを重視する塾も含まれるので通塾時間の幅は広い。本論の中心である現役高校生向けの学習塾というイメージからは遠いかもしれないが、中退者が増えているので高校生全体を考えるときには重要な視点を与えるはずだ。
予備校・塾の分布はどう変わったか
ここで、ちょっと昔を振り返って、東京都内の予備校・塾がどのような変遷をたどってきたかを垣間見ることにしよう。
「全国大学受験年鑑」と題して毎年発行される「蛍雪時代・臨時増刊号」の巻末に「予備校ガイド」というのがある。主要予備校・塾がすべて掲載されているわけではなく、広告に載っている予備校・塾がこのリストに入ってなかったりもするが、一つの目安として1980年12月号と1998年11月号の内容を比べ、図示してみた。図で丸囲みの記号と×印で表したのが1980年版に掲載されている予備校・塾であり、×印以外の記号が1998年版に掲載されている予備校・塾である。すなわち、丸囲みの予備校・塾はこの18年間生き伸びてきたところであり、×印は閉鎖した(かもしれない)予備校・塾とみることができる。三角印で表したのは分校を都内に持っているところである(丸印は都内で1カ所の予備校・塾だが、全国的にみると校舎展開をしているところがある)。
この地図を見て印象的なのは、予備校・塾が中央線沿いと山手線の渋谷〜池袋間に集中していることだ。山手線の内側には古い予備校・塾が多く、山手線から外側には新しい予備校・塾が多い。1980年と1998年を比較すると、都心から郊外に向かう力が感じられ、大手予備校・塾の拡大策をも反映している。特に、八王子市、町田市には分校の進出が多く、それぞれ地元の予備校が消滅している。これらの事情は埼玉県大宮市や千葉県船橋市などとも共通している。
ちなみに、首都圏(埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県)の予備校・塾を調べると1980年版に掲載されている63校のうち半数を超える36校が1998年版から消えている。消滅率は57%ということになる。
これらの予備校・塾の動きは、経営の姿勢が「生徒を集める」という発想から「生徒のいるところに出かける」という発想に変わったことを示している。また、その方が毎日高校に通う現役生にはマッチしている。
前述した分類との関連を考えてみよう。都心型の塾は山手線沿いに多く分布している。「大学への数学」に広告を出している塾は都心型が多いと思われるが、1998年1月号をみると、12校(大手予備校を含む)のうち3校が西新宿、3校が渋谷、2校が代々木に存在する。西新宿には大手のSEGがあり、その周辺に有名高校の生徒を対象にする塾がいくつも集まっている。予備校講師中心の都心型塾のところで述べたように、有名高校の生徒の通学圏は広く、学校は山手線内に多いので交通の便がよい山手線沿いの駅周辺に位置しているのであろう。
都心と郊外には大手予備校が存在する。郊外型の塾は蛍雪時代の予備校ガイドにはあまり取り上げられていないのでこの地図にはほとんどない。しかし、現実には郊外の都市において、これらの塾と大手予備校が入りまじっての現役生の獲得をめぐる戦いが展開されているのである。
特色のある予備校・塾の乱立が業界を発展させる
このような予備校・塾は、それぞれにうまく棲み分けて生き伸びていくことができるのだろうか。
日本の生徒・児童数は少子化が進み、年々減少している。学校基本調査でみると、高校3年生は1992年度の約177万人から1998年度の約138万人と40万人も少なくなっている。通塾率が上がったとしても、通塾人数は確実に減少しており、さらに不況が少子化に追い討ちをかけている状態だ。1998年度の中学生・小学生の人数をみると、中学3年生が150万人であるのに対して、小学校低学年は120万人台前半に落ちている。ここで30万人ほど減ることになる。
こういう状態で、許認可制でもない塾や予備校の現役コースが血を流さないで棲み分けられるはずがない。激しい競争による自然淘汰が進むはずだ。もちろん、これまでも同じようなことはあったのだが、危機感は小さかったように思われる。それは、似た者同士の競争が多く、敗者には放漫経営など教育の質そのものではない要因が大きかったからだろう。「地道にやっていれば何とかなる」という人が多かったのではないか。しかし、これからの自然淘汰は違う。いや、これまでと同じでは業界そのものがなくなってしまうかもしれない。子どもの環境に応じ、地域に合った内容、指導者の個性や主張などによる違いをアピールした塾が乱立し、多様な需要に応えていくなかで淘汰が進行するのではないか、と思う。そういう暗中模索の中の試行錯誤が現役対象の予備校・塾業界を育てていくことになるのではないだろうか。
【表】在籍児童・生徒数(1998年度)
学年 在籍者数
小1 1,217,059
小2 1,213,506
小3 1,238,451
小4 1,300,814
小5 1,326,509
小6 1,367,192
中1 1,411,518
中2 1,465,543
中3 1,503,544
高1 1,459,299
高2 1,394,028
高3 1,380,135
“大学準拠の予備校”“高校準拠の塾”
生き残りというと、今存在する予備校・塾のいくつかが残るというイメージを持つが、1980年と1998年で半数以上の予備校・塾が入れ替わっていたように、絶えず新顔の参入があり、淘汰があるので、必ずしもそのイメージは正しくない。そこで、どのような性格の予備校・塾が将来も存在しうるのか、を考えてみる。
まず、従来型の予備校が生き残る道があるのだろうか。冒頭に述べたように、現代の現役高校生気質を考えると、よっぽど教職員の意識変革を図り、予備校のプライドを捨てて新たなシステムを作り上げないとかなり困難である。従って、河合塾が現役専門の校舎を作ることに見られるように、数を集めようとするならば塾的な展開と運営を試みる方向に行くだろう。
もう一つの方向は、全入時代となっても入試において競争が残る最難関大学をターゲットとするコースに特化することである。いまでも浪人の場合は東大文系クラス、東大理系クラス、一橋大クラス、医科歯科系クラスなどと分けられたクラス構成を行っている予備校があるが、現役生に対してもそれを徹底して行うのである。たとえば「東大志望者集団が切磋琢磨」「東大入試の徹底分析」「東大生(院生)がティーチングアシスタントとして指導」「東大の授業を再現」「東大キャンパスウオッチング」など“東大なら我が予備校”というイメージを徹底的にアピールするのである。ただし、入試突破だけを売り物にする時代ではない。「人生をどう生きるか」「本当に東大に行きたいのか」「なぜ東大なのか」「東大で何をするのか」「東大の光と影」「東大卒官僚の弊害」などについても生徒の自主的判断力を高める方向で考えさせ、生徒の特性を伸ばす上で東大が適当でないとわかったら諦めさせることも考えなければならない。1クラスの人数は40人程度だろう。私立大学なら現役教員の指導をお願いすることも可能だし、夏休みや冬休みの講習には地方の高校生の参加が期待できるかもしれない。
予備校が特定の大学進学に特化することは、いわば予備校が“大学準拠の予備校”になることだ。これに対し、都心型の塾は“高校準拠の塾”ということになろう。中高一貫校を中心とする私立進学校の生徒をターゲットにするからだ。さしずめ、郊外型の塾は“地域準拠の塾”といったところだろうか。
と、ここまで極端なケースを含めて勝手な論を展開してきたが、常識的に考えてある日突然一挙にすべてが変わるということはなく、徐々に変わることになるだろう。しかし、5年、10年経って振り返ると風景はまるで違っていた、となるはずだ。変化のスピードは加速されるだろうから、生き残りには経営者の長期的展望と指針が必須条件になってくる。これまで、大学や予備校の危機が来ることは10数年前からわかっていたのに、「来年は何とか持つだろう」と期待半分、不安半分のままできた学校が多いが、これからの経営者にそういう甘えが許されないことだけは確かだ。それは組織の構成メンバー全員にも言える。活性化され、目標を持って自律的に動ける集団でないとこの危機を乗り越えることは難しいからだ。そうでないと、新しい発想とシステムで勝負を挑む新規参入者に取って代わられることになる。
蛇足的「コミュニティ塾論」
以下、蛇足である。
私が「特色のある予備校・塾」と言うときには、かなり幅広い民間教育機関を念頭に置いているつもりだが、いまだに進学熱を煽る論を張っていると思う人もいるだろう。それもしゃくだから「学習塾」について一言触れておこう。
塾の中には、障害児や学習障害児のための塾があるべきだし、パソコンの組立からコンピュータミュージックまで学べる塾があってもよい。農業を学ぶ塾があってもよい。環境庁の報道資料を見ていたら「こども葉っぱ判定士」事業というのがあったが、それなら各地域に自然環境度を見る「こども自然環境鑑定士」という資格を勝手に作り、自然との共生を考える場としての塾があってもよい。こういうのも含めて学習塾と呼べばよい、と私は考えている。
いま学級崩壊とか、少年犯罪とか、大人も含めて意欲や主体性がないとか、いろいろ言われている。その原因の一つとして、私はコミュニティ(地域共同体)の崩壊があると考えている。コミュニティとは、隣組のようなハードな存在ではなく、関心を持ちながらもプライバシーには触れないとか、好きな人が集まって祭りなどの共同作業をするとかいうソフトな人間関係の場である。そして、コミュニティを立て直す役割を民間教育が果たすべきだと考えている。
そのためには、塾(民間教育)業界に多くの優秀な人材が参入することを望む。自分に合う就職が見つからない学生は、どんどん塾を起こせばよい。どんな塾でもよい。在学中からやればなおさら冒険的・実験的な塾の展開が出来るはずだ。
行動が変化を生み、変化が進歩を生む。ベンチャーが危機を救う道であり、教育とコミュニティを再生する道である。今のところ肌で感じていることはそういうことである。
蛇足に蛇足を重ねてしまった...。読者にお詫びしながら、ひとまず筆を置く。
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