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多競争時代の中の大学と受験産業<その14>
日本社会のピラミッド・サイクルと日本の大学の暗い未来
〜ある講演がもたらした波紋
ある私立大学の職員が怒っている。聞くと、大学職員対象の研修会で聞いた基調講演が日本の大学をぼろくそにけなす内容だったと言うのだ。誰も日本の大学に子どもを行かせたいとは思っていない、お金があれば留学させたい、それは日本の大学に魅力がないからだ...。そういうことを言ったとされるのは浜野保樹・文部省メディア教育開発センター助教授。そこで私も、日本私立大学連盟の企画による教育研究支援専門研修「ビジョンフォーラム−21世紀の大学像」の報告書を読んでみることにした。
土建国家・日本とハコもの大学
浜野氏はまず、「ピラミッドのサイクル」について言及している(これは「IDE現代の高等教育」400でも述べているので、ここではそこでの表現も一部引用する)。
古代エジプトでピラミッド建設に数十万人の労働者が何十年も従事したが、完成したとき彼らを受け入れる雇用は社会には存在しなくなっていた。そこで、エジプトでは再生産にもならないピラミッドを国が滅びるまで繰り返し建設する羽目になってしまった、というのがピラミッドのサイクル。日本では最大の単一産業は土建業で、日本は「土建国家」である。橋や道路などを作り続けないと社会がつぶれてしまう「ピラミッドのサイクル」に日本は入っているというのが拠って立つところである。
一方、アメリカでの最大の単一産業はハイテク産業である。情報革命が確実に進行しているアメリカに比べると日本はある種の発展途上型産業システムになっており、これをどう断ち切るかが比重に常用だと浜野氏は指摘している。
ところが、日本および日本の大学の魅力はどんどん落ちている。日本の国際的評価をみると「社会全体に融通がきくかどうか」「チャンスの均一性があるか」はビリに近く、「教育システムは、非常に競争が激しい経済システムに合っているかどうか」の順位も低い。高等教育の進学率は高いと言われているが、生涯学習で何度も大学に行ったり、複数の大学に行ったりするカナダの100%、アメリカの80%などと比べれば低い。しかも、インドや中国では進学率が低くても人口が多いので大学生の絶対数は日本よりもずっと多い。これは優秀な人材が多いということを示している。
日本で世界に誇れるものにアニメーションがあり、世界の65%のアニメは日本で作られているが、これだけ大きな産業であるにもかかわらず、大学はなんらの貢献をしておらず、一人の人材も養成してはいない。アメリカの大学には222の映画学科があり、4万人の学生が学んでいる。韓国政府は膨大なお金をかけて9大学に漫画・アニメーション学科を作った。しかし、日本の大学には映画学科に匹敵する学科は2つしかない。
とまあ、こういうふうに日本及び日本の大学のどうしようもなさを並べ立てているわけで、従って冒頭の大学職員の怒りをかったわけだが、全体に流れるトーンは、高等教育は社会システムの一つである以上、社会の魅力がなければ大学の魅力はないということ、魅力的なコンテンツを持つことが重要であるということのようだ。もしかしたら、事務局がどぎつい表現をやわらかくまとめたのかもしれないが、言われていることは当たり前のことのようにも思える。
浜野氏は「日本の大学の未来は暗いと思っている」と明言する。『IDE』で氏は、デジタル革命やネットワーク革命によって大学が「ハコものとしての大学」は生き残れないとするピーター・ドラッガーの見解を紹介し、さらに「ハコもの国家、土建国家としての日本が生き残れないため、そのシステムの一部としての大学も生き残れないだろう」と断言している。
晴れ晴れとした奇想天外な大学改革を
この連載では大学改革と生き残り策について書いてきたが、筆者としてどうも重々しかった。競争、個性、多様性と強調してみても空々しさが残った。それはなぜだろうか。
浜野氏の話に接してみて、それは日本という社会が持つシステムのせいかもしれないと感じた。競争と言っても他者見合いで進み、どこか談合の臭いがつきまとう。個性や多様性と言ったって画一的に進む改革。本音と建て前の二重構造が維持され、大状況で語られるべき言葉が小状況の中でちまちま語られる。突き抜けるものがないのだ。だから晴れ晴れとしない。
浜野氏の話の中にあったのだが、アメリカの大学は勉強ができようができまいが留学生を積極的に呼ぶ。それは、特に発展途上国の留学生の多くが自国に帰ったら政府の要人か重要な企業のトップになると思っているからだ。つまり、グローバルなネットワークが大学の重要な財産だとちゃんと認識しているわけだ。同じ理由で、自分の大学の学生の留学を奨励するし、大学の教職員採用では自分の大学の出身者を避け、他大学の人を優先する。
デジタル・コンテンツに関するトップ校はトロントのシェルダン・カレッジで、ビル・ゲイツが率いるマイクロソフトは他大学に対するより多くの寄付をしている。南カリフォルニア大学の映画・テレビジョン学科では、毎週、学生に公開前の映画を見せるシネ・プレビューという時間があり、卒業生の監督たちを交えて討論を行っている。アメリカでは衛星通信やインターネットを利用したバーチャル・ユニバーシティがこの1年の間に巨大産業に成長してしまった。
というような、動きに対して日本の大学の動きはダイナミックさに欠ける。
私は最近、ある大学関係の雑誌に原稿を書き、そのなかで私が感じている大学の問題として(1)原理原則がない、(2)自主独立の気概がない、(3)責任の所在が明らかでない、(4)自信がない、の4点を挙げたが、さらにここで「(5)先取性がない」を付け加えたい。
ピラミッド・サイクルの問題で言うと、いくら社会に規定される大学の活動であっても、ピラミッド・サイクルを突き崩す新たなパラドックスの提起にチャレンジしてもらいたい、というのが私の切なる希望である。社会システムが硬直化し、魅力がなければ、社会に活気を呼び、魅力が生まれる社会運動を展開すればいいのだ。しかし、現実を見る限りそのような動きは少ない。たとえば、学部改組にしても既存の組織、既存の人材の温存が目立つ。自滅行為であると全構成員がわかっていてもそうなるのが不思議でならない。ここにも本音と建て前の二重構造がある。
大学人は自分の大学に子どもを入れたいか
大学改革を考えるとき、日本の中だけで考えることは現実的ではない。スリランカのコロンボ大学の案内を見たことがあるが、アジア3大大学として北京大学、デリー大学、コロンボ大学が挙げられていた。根拠はわからないが、前述のインド、中国の大学生数を考えると無視できない面がある。
日本の子どもたちは既にグローバルな視点で人生を考えている。海外留学はもちろんのこと、国内で教育を受けるにしてもアジア・アフリカ、欧米からの留学生を受け入れた国際キャンパスでなければ満足しないだろう。大学改革も文部省の顔色をうかがっているだけではなく、株式会社やNPO組織としての展開、外国認可の法人としての活動など奇想天外とも言える大胆な改革があってもいいと思う。
最後に繰り返しておくが、浜野氏が強調しているのは「魅力」である。それに関連して氏は、自分の子弟を(どの大学に)送りたいかどうかは非常に重要だと指摘している。そして、「(日本の大学人が、自分の子どもを行かせたい大学が)自分の大学であればベストですが、たぶんそうではないのではないか、日本の大学ではないのではないかという気がするわけです。ですから、日本の大学は非常に危ないところに来ていると思います」とあっさり結論めいたことを述べている。また、「本当の社会で生きていけないような変な人が大学の先生でいるというのは、とっても魅力なのです。変な人がいるとか突出する人がいるとか、そういう者を受け入れられるかというのは、実は社会システムの中で大学しかないのです」という言葉にも注目したい。変な人、突出した人はたくさんはいない。同じ種類の変な人というのもそうはいない。だから、大学の個性を作り上げるのに重要な要素になるのだ。