多競争時代の中の大学と受験産業<その17>
大学院は何のために膨張を続けるのか
〜大学院の現状と今後の方向性を考える
大学の新設や学部学科の増設ラッシュが続いている。これだけ受験人口が減っており、定員割れや低倍率が続いているのに入学者確保は大丈夫だろうか、と誰しも考える。そして、誰もがそれは無理だと考えている。時代に敏感に対応した(と自らが思っている)新しい学部を作った方が生き残れると思っているのかもしれないが、多分に神頼み的なところがある。
そしてもう一つ。大学改革の中で急拡大を続けているのが大学院である。大学淘汰時代にあって大学院の拡充は大学の延命策になりうるのだろうか。命取りになりはしないか、という危惧も錯綜するなかで大学院はどのような形で生き残るのだろうか。
大学院生は19万人を突破、2010年には25万人程度
まず、大学院の膨張ぶりを見てみよう。
大学院の在籍者数(修士課程・博士課程の合計)は、1980年には約5万4千人しかいなかったが90年度には9万人を超え、99年度には19万人を突破した(内訳は、修士課程13万2,118人、博士課程5万9,007人)。9年間で2倍以上になったわけだ。今後もさらに拡大が進む見込みであり、2010年には25万人程度、あるいはそれ以上になるという大学審議会の推計も出ている。
大学院の入学者数の推移をみると、修士課程は89年度には2万8,177人だったが94年度には5万人を突破、98年度は6万人に達した。修士課程の入学者数は10年間で2.3倍になった。一方、博士課程でも89年度の7,478人から急増して97年度にはほぼ2倍になり、99年度は10年前の2.2倍に達した。大学・短大の入学者数はこの10年で7%増加しており、その増加数は4万9,600人だが、大学院(修士・博士)の入学者数は4万6千人増えており、学部に匹敵する増え具合である。

私立は修士課程、国立は博士課程を強化
次に、設置者別にみてみよう。修士課程の入学定員は、10年前と比べて国立大学76%増、公立大学117%増、私立大学86.5%増と、国立大学に比べて公立大学、私立大学の伸びが勝っているものの、構成比では国立大学55.5%、公立大学4.5%、私立大学40.0%と国立中心であることは変わっていない。博士課程になると国立大学の定員増が他を圧倒しており、10年間の伸び率は国立大学66%増、公立大学45%増、私立大学33%増で、その構成比は国立大学61.3%、公立大学5.2%、私立大学33.4%であり、国立大学中心の傾向が強まっている。
このことから、公立・私立は修士課程をせっせと設置し、国立大学は博士課程にシフトしている様子がみてとれる。この傾向は今後もさらに強まるだろう。なぜならば、修士課程の入学者数をみると、国公私立とも定員前後の人数を確保しているが、博士課程では国立大学が定員近い入学者数であるのに対して私立大学は大きく定員割れしているからだ。私立大学はただ入れ物を大きくしただけでは入学者を確保できないという現状が見える。ちなみに、99年度の定員に対する充足率を示すと、修士課程では国立大学119.8%、公立大学110.2%、私立大学99.8%となっており、博士課程では国立大学98.3%、、公立大学86.1%、私立大学60.2%となっている。


学部・大学院一貫教育や「学府」という名称の大学院も登場
そして、来年度も大学院の新増設ラッシュは続く。最近話題になったものに、東北大学の6年一貫の法学教育があった。これは、法学部の4年間と法学研究科修士課程2年間をつなぎ、実務型の教育をしようというもの。学部3年まで法学の基礎や教養を学び、学部4年からは徹底した専門教育を行うことになっている。
同じように学部教育と大学院教育をつなげようという構想は他の多くの大学でも検討されている。飛び入学や修士1年課程を結びつければ3年で大学卒業、1年で修士修了という4年制の一貫教育を行うこともできる。それが無理でも5年一貫教育システムは十分に可能だろう。
来年度の新設予定の大学院の中に見慣れない「学府」というのがある。東京大学の学際情報学府(博士後期課程の受け入れは2002年度から)、九州大学の人文科学府・法学府・経済学府・理学府・医学系学府・歯学府・総合理工学府などである。九州大学は従来の14研究科をそっくりそのまま14学府に再編成する。
学府とは、研究機関を切り離し、学生だけが所属する機関だという。では指導教員はどこから来るか。東京大学を例に説明すると、従来の研究科からも来るが、主には新しい「情報学環」という教員だけの研究組織ができ、そこの教員が授業を担当するらしい。すなわち、学生だけの学際情報学府と教員だけの情報学環で、総合情報学環という新組織が構成されるわけだ。これだけだと何が変わったのだろうと思うが、情報学環に所属する教員の多くは任期制で、他の部局から3〜7年間参加する流動性の高い組織だというのが目新しいそうだ。従来の組織に任期制を導入するのは抵抗が大きいので、新組織で徐々に慣らしていくということだろうか。
東京大学に大学院の拡大状況を見る
ついでに東京大学の大学院の動きに注目してみたい。東京大学には現在12の研究科があるが、新設や再編の動きがあわただしく進んでいる。もっとも大きな動きは柏キャンパスで、柏レイソルの本拠地に隣接する36.6ヘクタールの敷地に、新領域創成科学研究科、物性研究所、宇宙線研究所、次世代科学総合研究機構(仮称)が入る。現在は物性研究所の一部の利用が開始されただけだが、これから次々に巨大な建物が完成する。次世代科学総合研究機構とは、本郷キャンパスの生物生産工学研究センターとアジア生物資源環境研究センター、駒場第二キャンパスの人工物工学研究センター・気候システム研究センター・空間情報科学研究センターをまとめる新しい研究機構。柏キャンパスには、将来計画として高輝度光源研究センター(仮称)の敷地まで用意されている。このほかにもイノヴェィション・フィールドと称される空き地があるが、これは「絶えざるイノヴェィション」という基本理念の実現のために温存されたスペースであり、一時的な実験やプロジェクトの実施に対応した施設などが計画されている。まだはっきりしない機関にまで敷地が用意されているわけだ。
駒場第二キャンパスにも大学院の巨大な建物が次々に建設されている。また、理学系研究科、工学系研究科のうち計算機科学関連の5専攻を2001年度から情報科学研究科に再編する計画も進んでいる。
大学院拡大の方向
大学院改革や研究科の新増設は、大学の生き残り策としてほとんどの大学で推進されているか検討されていると言ってよい。大学院を置く大学は、すべての国立大学と公立大学の67.2%、私立大学の67.3%に上っている(98年度)。
大学院の変化は大きく分けて3つある。一つは、研究の高度化・集中化・巨大化である。先に挙げた東大はその例である。国際的な競争、科学技術の発展、学際領域などの新分野への挑戦に立ち向かうための方策としてあるのだろう。が、高度な研究の集中化は研究から自由さや多様性、意外性を奪い、かえって発展を妨げるとの批判もある。研究者養成をどのようなシステムで進めるのかという問題と合わせて議論が必要な点である。
二つ目は、高度専門職業人の養成である。長引く不況によって企業で教育する余裕がなくなり、大学で実践的な力をつける必要があること、その内容も産業構造の転換に対応して独創性や自律性、新産業に対応できる総合的な視点など大学教育ならではの力が求められるようになったことなどから、大学院の修士課程は研究者養成ではなく、職業人養成に大きくシフトしている。
三番目は、二つ目と絡んでいるが、社会人の受け入れである。教育大学が現職教員を受け入れたり、工学系研究科がメーカーの社員を受け入れるリフレッシュ教育もこの中に入る。また、転職の準備や教養を身につけるために大学院に入る人もいる。大きく言えば、リカレント教育、生涯学習ということになる。いま、社会人を受け入れやすくするために、社会人大学院を夜間や土曜日に開いたり、都市部に設置するなどの動きがみられる。多摩大学は93年に平日の夜間と土曜日に講義や演習を行う経営情報学専攻の大学院を設置、さらに95年には日本初の夜間の博士課程を設けた。慶應義塾大学のアントレプリナースクールは東京都心の六本木にある。中央大学や日本大学、法政大学なども社会人を受け入れる大学院を都心に設置したり、設置しようとしている。前述の東京大学の学際情報学府も積極的に社会人を受け入れるとしている。
二番目と三番目に共通する動きとして、国内でMBA(経営学修士)を取得するビジネススクールがある。大学院を中心に約20校が国内にあるといわれており、その草分けである慶應義塾大学の経営管理研究科は78年にビジネススクールを開設した。これも研究大学院と同様、国際競争にさらされることになる。
これらの動きを別の側面からみると、いわゆる「学力低下」の問題が見えてくる。かつての学部の専門教育は大学院修士課程で行われ、かつての修士課程での研究は博士課程に持ち込まれている、という印象を受けるのだ。しかし、ある意味ではこれは正常化されたということなのかもしれない。かつて企業が「大学で仕込んでもらわなくてもよい」と豪語していたことからすると、これまで大学はちゃんとした教育をしていたのかどうか。また大学院でも(特に人文系、社会科学系では)ほとんど講義や指導はせず、大学院生はほったらかしにされていた、という話を聞くので、大学院でさえ教育をしてこなかったとすれば、これは単に学生の学力が低下したから教育期間が長くなったという問題だけではなく、社会の要請や国際競争によって大学が教育をきちんとしなければならなくなった結果であるとも言えるからだ。いずれにしても、大学院でも学生の実態に合わせた教育システムを開発しなければならない。
大学院の性格付け、ビジョンを示し、広範な議論を望む
大学院の内容や形態は多様化し、従来の学部に連続して設置された大学院のほか、学部と切り離した独立大学院(独立研究科)、学部を持たない大学院大学、複数の大学が共同して一つの大学院を作る連合大学院、研究機関や民間の研究所と共同して作られる連携大学院などがある。さらに前述した学府のようなものが増えている。今年5月の学校教育法の改正によって大学院に研究科だけでなく、別の組織も置けるようになったので、さらに多様化は進みそうだ。
そこで、はたと考えるのだが、日本にこれだけの大学院が必要なのだろうか。あるいは存在価値のある大学院がいくつあるのだろうか。
東京大学、京都大学など国立大学の一部は前述の一つ目の研究のための大学院をめざしているように見える。私立大学は社会人を多く取り込みながら職業人養成に力を入れようとしているようだ。しかし、私の情報収集力が弱いのか、大学の発信力が弱いのか、国立、公立、私立を問わず、性格がはっきりしないように思う。
国公立大学の多くは、産学協同を図りながら高度専門職業人養成をねらうのだろう。しかし、東京大学、京都大学とも、理系大学院の定員が理学部定員を超えており、他大学の卒業生を多く集めなければならない。従って、それに続く国立大学は優秀な人材をとられて困っているという話も聞く。そういう構図があるとすれば、研究大学院と高度専門職業人養成大学院との棲み分けは難しいかもしれない。
一方、私立大学は実学や技能を身につける高度専門職業人養成をめざすところが多いだろうが、それだけの実力を持つ大学がどのくらいあるだろうか。多くはカルチャーセンター化するのではないだろうか。
学部改革に関しては多くの議論があるが、大学院に関しては世間の関心が低いように思える。しかし、大学院の将来は日本社会にとっても重要な意味を持つ。いま東京大学で進められているように研究機能が一部の大学に集中していいのか、研究も高度専門職業人養成も兼ねるような性格付けがはっきりしない大学院が多くなっていいのか、カルチャーセンターと同レベルかそれ以下の大学院の存在を認めるのか、大学院の経営を学部の資金に頼っていていいのか、などもっと議論すべきではないだろうか。そのために、文部省や各大学はそれぞれの大学の将来計画や予算措置などについて積極的に情報公開をしてもらいたい。また、マスコミもそのための取材と情報収集・提供を行い、議論を巻き起こしてもらいたいものだ。